さくら多毛作論

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[風を感じ、ときを想う日記](72)2/17
さくら多毛作論

 白梅が咲き始めたのは一月下旬、以来近隣で梅の花の途絶えたことはない。その色は、白に続いて濃いピンク、そして深い紅へと継がれてきた。そんな中、晩生のうすいピンクはやっと二分咲きにまでこぎつけた。わが家を彩るその二本は、これから十日あまり私たちを楽しませてくれるはずである。

 息の長い梅たちにくらべ、桜は瞬間芸に近い。春爛漫、一気に開きぱっと散る。その華やかさと潔さが、日本人の共感を呼ぶのであろう。それにしてもあっけなさ過ぎる。もう少し花を楽しむ余裕があってもいいのではなかろうか。

 この現象、あまりにもソメイヨシノに人気が集中しているためである。桜の良さだけを凝縮したような、その華やかさから当然といえなくもないが、それにしては極端にすぎる。枝分かれでしか増殖できないクローンの固まりは、純粋培養の美しさと危うさを併せ持っている。桜にだっていろいろな種類があり、その楽しみ方も多様であっていいはずではないか。

 さいわい、早咲きの河津桜が各地で見られるようになってきた。もちろんソメイヨシノに見劣りなどしない。うつむき加減の寒緋桜も、その可憐な姿を愛でる人が増えている。八重桜だって、伝統を守り抜こうとがんばっている。

 沖縄固有種は別格としても、国内に見られるあらゆる桜たちを、居ながらにして多様なスタイルで愛でてみたい。

写真は、近所の庭に咲いた河津桜と思われる艶姿