[エッセイ 111]


 紅葉の最終ランナー、ウルシの木が顔を真赤に染めて通り過ぎていく。わが故郷では、そのウルシの木たちがお正月まで待っていて、帰省客の目を楽しませてくれる。

 子供のころ、ウルシの木の樹液によく被れた。野山を駆け回ったり、山林の下草刈りの手伝いをした翌日など、手足に筋状のかぶれができた。痒いのでついひっかき、爪についたその汁で別のところに移してしまうこともよくあった。

 就学前、4~5歳のころだったと思う。太腿にできたかぶれがこじれ、とうとう歩けなくなってしまった。温泉治療がいいのではと、山口市在住の祖父母のもとに預けられた。祖母は私を乳母車に乗せ、湯田温泉の千人湯という公衆浴場まで毎日のように通ってくれた。片道40~50分、年寄りにとっては結構な重労働ではなかったかと思うが、おかげで旬日を経ずして完治した。

 私を悩ましたウルシたち、実は、縄文の昔から日本人の暮らしに大いに役立ってきた。そのかわいい実はローソクの原料に、樹液は接着剤やウルシ塗りの塗料として珍重された。

 樹液は、その木が植えられて8~13年経った成木に幾筋もの切れ目を入れ、そこから滲み出てきたものを採取する。集められた樹液は濾過されたあと、平滑性や光沢を出すための攪拌と、水分を抜き取るための工程を経て塗料として仕上げられる。1本の木から採れる樹液の量は、1年でわずか200グラム程度にすぎず、いまでは国内消費量の98%を中国などからの輸入に頼っている。

 ウルシ塗料は透明な褐色をしている。それをベースに、木地目を生かしたいときは透明度を上げたものを、色物の場合はそれに顔料を加えて使用する。ただ、黒色に限っては、着色反応剤として鉄粉や水酸化鉄を入れて反応させる。ウルシ特有の深みのある黒は、こうして得られたものだそうだ。

 ウルシ塗りの滑らかで美しい塗肌と鮮やかな色彩や装飾は、永く人々を魅了しつづけてきた。そうした特性から、ウルシの語源は、潤汁(うるしる)、塗汁(ぬるしる)、あるいは麗(うるわし)あたりではないかといわれている。

 英語では、陶器のことをchinaという。Chinaと書けば中国を意味する。そして漆器はjapanといい、Japanと書けば日本のことを指す。昔の西洋人にとって、東洋の陶器や漆器は国名にも匹敵する大変なお宝であったようだ。

 かつて、高級家具や什器の多くはウルシ塗りで占められていた。それが、新しい素材や技術に圧され、日常見かけられるのは汁椀程度になってしまった。日本のお宝ともいえるその伝統工芸を、末永く後世に伝えていくために、漆器をもう一度生活の場に引き戻す具体的な方策が必要ではなかろうか。
(2005年12月17日)