小泉劇場

[エッセイ 105]
小泉劇場

 時は元禄、北陸のある寒村でのこと。代官が、悪徳商人と結託して領民を苦しめていた。「おぬしも、ワルよの~。ヒヒヒヒ・・」。領民たちは、なんとかこの苦境を打開しようと立ち上がる。しかし、その企てはいとも簡単に叩き潰されてしまった。そこに現れたのが、正義の味方、小泉純之助。素性のよくわからない旅浪人であるが、どうやらさる高貴なお方のご落胤らしいとの噂であった。純之助の手によって、代官と商人の罪状がつぎつぎと暴かれていく。ついには斬り合いとなって、悪人たちは彼の剣を受けて断末魔の叫びをあげる。下町の芝居小屋・小泉座は、こうして大盛況のうちに幕を閉じた。

 今回の出し物が大衆の喝采を浴びたのは、分かりやすい単純な筋立てにあった。勧善懲悪を貫き、チャンバラ映画のような娯楽性を持たせたことも好結果につながった。善良なヒロインが、悪役に徹底的に苦しめられる。もうだめかという土壇場になって、大逆転劇が始まる。悪役が憎々しければ憎々しいほど、ヒロインが苦しめられれば苦しめられるほど、逆転の結果は観客にとって痛快なものとなる。小選挙区制は、ゴルフのマッチプレーにも似て、勝ちか負けか、白か黒かしかない。その緊張感が、ゲームを引き締めいっそう興味深いものに仕立て上げた。気がつけば、観客の三分の二がステージに引き上げられ、ジュンチャンサンバを踊らされていた。

 それにしても、小泉劇場と揶揄された今回の一連のドラマは、私たちに数多くの教訓を残してくれた。チャンスのあとには必ずピンチがあるといわれる。政府案が否決されるという大ピンチのすぐ裏に、与党大勝利という歴史的なチャンスが実在した。イチローは、野球のことを知り抜いているといわれるが、与党幹部も、小選挙区制の特性をよく研究しゲームを自分達のものとした。

 研究といえば、大河ドラマ義経の戦法も大いに参考になったはずである。その常識を超えたやり方が、今回の選挙戦でもきわめて効果的であった。一方で、戦術の基本も、与党はきっちりと踏襲していた。郵政民営化という自陣営の土俵で、しかも自分の得意な組み手で相撲を取る。速攻を旨とし、攻めに徹する。相手を悪役や抵抗勢力に仕立て上げ、自分達がいかに善人であり改革者であるかを際立たせる。大衆はもとよりマスコミまでがなだれをうって支持に回り、戦況は一気に与党陣営に傾いた。おまけに、小選挙区制は紙一重の差を決定的な差に変えてしまった。

 衆議院議員選挙は与党の圧勝に終わった。改革は進み政治は安定に向かうであろう。しかし、チェック機能が大きく減退してしまったいま、私たちは新たな重い責任を背負わされていることを自覚しなければならない。
(2005年9月27日)