パリ・ローマの旅 懐顧版⑤ ”ローマ市内観光”

[エッセイ 691]

パリ・ローマの旅 懐顧版⑤“ローマ市内観光”

 

 この旅のステージは、パリ・オリンピックの終了とともにローマに移る。この日は、スケジュールの関係もあって、すべて旅行社任せとなった。最初に案内されたのはサン・ピエトロ大寺院だった。われわれ日本人にとって、とくに仏壇のあるような家庭で育った者にとってはまさに驚くことばかりであった。

 

 ここは、カトリック教徒にとって全世界の総本山であるとともに、この寺院一つがバチカン市国という独立国なのだそうだ。1929年に正式に独立、面積は0.44平方キロメートルで日比谷公園の3倍の広さ、そして人口は法王以下全職員を入れても2020年現在で615人だそうだ。まさに、世界最小の独立国である。

 

 ローマの街のど真ん中にあって、回廊で囲われた内側がいわゆる領土にあたる。広い前庭があり、その向こう側に巨大な寺院がある。その右側と後方にも建物が見える。右側の建物の二階の一室がローマ法王の部屋で、なにか催し物があるときはその窓から顔を出して手を振られるそうだ。

 

 警護はスイス兵があたっているそうだ。バチカンとイタリア、それにスイスとの関係において、歴史的な経緯からそのようになったそうで、いまも変わっていないという。寺院の建物の中はとにかく広い。天井も高く、ミケランジェロの壁画と彫刻で満ちあふれていた。彼は、生涯の多くをここで過ごしたという。

 

 私たちのバスは、コロセウム、スペイン階段、ティトゥス帝の凱旋門、そして「真実の口」など、映画「ローマの休日」に出てくる名所を駆けめぐった。そして、薄暗くなってやっとトロイの泉にたどり着いた。泉は全体が一つの彫刻と言えなくもない。外国人観光客でごった返していたが、ライトアップされていたのでそれなりにロマンチックな雰囲気も漂ってはいた。

 

 ここでは、泉に背を向けてコインを2個肩越しに投げ込むのが習慣になっている。一つのコインはローマにまた帰ってこられるように、そしてもう一つは自身の願いごとが叶うようにと祈りを込めて投げ込むのだそうだ。日本の神社仏閣でのさい銭と似たような風習だが、山梨県忍野八海では、外国人観光客が投げ入れたとみられるコインが、泉の底にたくさん貯まっているそうだ。

 

 この日の夜は、ディナーショーでのカンツォーネを聴きに行った。料金の割りに、劇場はもとよりショーも料理もあまり上等とはいえなかった。出演者も、中心となる歌手はさすがだったが、脇役の歌唱力となるとその辺の歌手と大差はなかった。外国からの観光客相手となると、こんなものなのだろうか。それでも、客は半分以上がヨーロッパ系で、それなりに満足している様子だった。

 

 翌日は旅の最後となるので、それなりに印象に残る観光をしたい。ベネツィアかミラノかはたまた南のナポリに行くか、朝までには決めなければならない。

                      (2024年8月16日 藤原吉弘)