[エッセイ 687]
パリ・ローマの旅 懐顧版①“往路”
パリオリンピックを機に、自身のブログには部分的にしか投稿したことのないパリとローマへの旅行記を、体系的なエッセーとして新たに加えることにした。1992年11月下旬という32年も前の古い出来事ではあるが・・。
当時勤めていた会社では、30年間まじめに勤務すると、永年勤続表彰としてなにがしかのお小遣いと休暇をくれた。夫婦で旅行でもしてこいというわけである。夫婦そろって海外旅行するのは初めてだったので、二人のあこがれの旅先であるパリとローマがセットになったパックツアーを選んだ。しかし、あまりにも格安だったので、航空便は南回りの乗り継ぎ、現地はほとんどが自由行動、そしてホテルは二流だった。それでも、記憶に残る思い出深い旅となった。
乗せられたのはアリタリア航空のニューデリー経由ローマ行きの便。出発したらすぐ、食事が出る、お酒が出る、で急に賑やかになった。しかし、日本人スチュワーデスは数人しかおらずあまりなじめる雰囲気ではなかった。いつの間にかうとうとしていた。どれくらい経っただろうか、また食事が出た。後でわかったことだが、国際線の長距離便では、出発後と到着前の二度にわたって食事が出るようだ。二度目の食後、しばらく経つとニューデリーに着いた。
そこから先の飛行機は同じものがそのまま使われるが、客はいったん下ろされ機外で待機させられることになった。ロビーでの休憩時間は1時間半だという。退屈しのぎにトイレに行ったら、チップとして100円を要求され、いやがうえにもここは外国であることを実感させられた。家内の話だと、女子トイレで10円出した人がいたが、100円でないとだめといわれていたそうだ。ロビーは湿った感じであまりいい雰囲気とはいえず、長居はしたくなかった。
また同じ機内へ戻った。再出発後、例によってまた食事が出たがさすがに食欲はなかった。そうこうしているうちに空が白んできた。下界は一面茶色の世界へと変わった。どうやら、中東に差しかかり、砂漠の上空を飛んでいるらしかった。やれやれと思っていたらまた食事の時間だという。一難去ってまた一難、難行苦行の末にやっとローマの空港にたどり着いた。
われわれのツアーは最初にパリを訪れることになっている。ローマの空港では、飛行機を乗り換えただけでそのままパリへと向かった。今度は、乗ったことのない馴染みのない機種だった。食事はさすがに1回だけ、数時間後にやっとあこがれのパリへとたどり着くことができた。5回の食事で腹はパンパン、長時間の着席で尻は大きくむくんでいるようだった。
これから、いよいよパリ市内の観光が始まる。
(2024年7月31日 藤原吉弘)