パリ・ローマの旅 懐顧版②”パリの市内観光”

[エッセイ 688]

パリ・ローマの旅 懐顧版②“パリの市内観光”

 

 パリに着いたのは成田を出てから約21時間後、現地時間では翌日の午前11時ごろだった。北回りの直行便なら13時間半くらいで行けるはずなので、まさに大変な遠回りをしたことになる。そのパリの1日目は、昼食から始まる団体行動となる予定だった。私たちを乗せたバスは、パリ中心部のセーヌ川周辺へとやってきた。パリの主な観光資源はこの辺りに集中しているようだ。

 

 パリは、その中心部を東西に流れる大きな川を挟んで南北に広がっている。そのセーヌ川には、中央部に縦に並んで二つの中の島があり、大きい方のシテ島には最初に訪れたノートルダム寺院があった。建物は、1163年から2世紀半を掛けて完成されたという荘厳なものである。本場の有名な寺院というのはこんなにも大きくて威厳があるのだと圧倒されてしまった。かつて長崎を訪れたとき、かの浦上天主堂に感動したが、それとは桁違いの規模と荘厳さであった。

 

 そのノートルダム寺院は、建物を維持するために長年にわたって補修作業が続けられていたようだ。ところが、その作業の火花がなにかに点火したらしく、屋根の尖塔が焼け落ちるという大火事になってしまった。つい5年前、2019年4月15日のことである。テレビの中継ニュースで見ていて我が身を切られる思いにさせられた。焼け落ちた尖塔が早期に完全修復されることを祈りたい。

 

 この寺院のあるシテ島は隣のサン・ルイ島と縦列になってセーヌ川の中の島を形成している。まるで、大阪の中之島と同じような存在である。ちょっと趣は違うが、札幌の中島公園や福岡の中洲もそれぞれ同地を代表する賑やかな場所である。ここシテ島では、寺院周辺も美しいところなのでしばし散策を楽しんだ。

 

 バスは、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを抜けて凱旋門へと向かった。そこを半周して、エッフェル塔の美しさが楽しめるトロカデロ広場でしばし周辺の景色を楽しむことになった。途中のコンコルド広場は、フランス革命のときギロチンが行われたところで、ルイ16世マリー・アントワネットがその犠牲になったと伝えられている。その先にある凱旋門シャンゼリゼ通りの終点にあり、かつてエトワールが凱旋したときのものとして有名である。

 

 最後に訪れたエッフェル塔は、パリを代表する建造物である。1889年完成、高さ300メートル、アンテナの先端までは330メートルだそうだ。100年以上前に開催されたパリ万博を記念して建てられたものである。今回のパリオリンピックの開会式でも、きれいに装飾され演出の重要な役割を果たしていた。

 

 パリで旅行社が面倒を見てくれたのはここまで、翌日からは自分たちでスケジュールを組み立てなければならなかった。しかし、アイディアなどまったく浮かばないまま、パリでの一日目を終えることになった。

                       (2024年8月4日 藤原吉弘)