マッターホルン

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[エッセイ 351]
マッターホルン

 マッターホルンの玄関、ツェルマットに着いたのはもう夕方に近かった。空はどんよりと曇り、小雨さえぱらついていた。この町から、その美しい姿が眺められるというが、このお天気ではとても無理な相談だろう。旅行社のスケジュールでは、翌早朝「朝焼けマッターホルン」に案内するという。

 ビューポイントで有名なその橋には、すでにたくさんの人が押し掛けていた。東洋系の人たちが半分以上を占めている。上流方向に、その美しい姿が見られるはずだ。しかし、すっかり明るくなったというのに、モヤにさえぎられ裾野さえ見わけることができなかった。

 登山鉄道のターミナルは、前日乗った氷河特急の終着駅と向き合うようにあった。この日は、標高1,620メートルのツェルマットから、3,089メートルのゴルナーグラート展望台までここを起点に登っていく。電車は各駅に止りながら、30分あまりをかけて終点の展望台駅に辿り着いた。

 あいにくガスがかかって、目線から上はあまりよく見えなかった。それでも、ここは富士山でいうと八合目の高さになる。3千メートル級の山々や、眼下の幾筋もの氷河が手に取るように見える。さっそく、マッターホルンをバックに団体写真をとることになった。山が見えないときは合成でそれを入れるという。

 帰りは一駅下から、3キロ、2時間のハイキングが予定されていた。途中には、マッターホルンが逆さに映るリッフェル湖があるはずだ。しかし、とうとう雨が降り出した。ぬかるんだ道は危険でさえある。ツェルマットにはもう一泊するので、予定はあっさりと変更され期待を翌日に持ち越した。

 早暁、家内の起き出す気配がした。「おとうさん。マッターホルンが見えるよ!」テラスに彼女のうわずった声が響いた。昨日のビューポイントに急いだ。大勢の人でそこはごった返していた。やがて、頂上に金色の光が当たった。黄金色に輝く部分は徐々に下に向かって広がっていく。なんという神々しさであろう。

 このマッターホルンは、その姿の美しさにおいてわが富士山に並ぶ独立峰である。スイスとイタリアの国境にあって標高は4,478メートル、スイス側の方がはるかに美しく見えるという。標高はエベレストの半分に過ぎないのに、四角錐に切り立ったその凛とした立ち姿は人々を魅了してやまない。

 初登頂は1865年7月14日、イギリス人4人と地元のガイド2人がなしとげた。しかし、下山の途中、そのうちの4人が滑落して亡くなった。美しいものには、悲しいドラマがつきもののようだ。

 いま、わが家のリビングでは、金色に輝くマッターホルンが額縁の中で優しくほほ笑んでいる。
(2012年7月16日)