寸又峡

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[エッセイ 329]
寸又峡

 今年の紅葉シーズンは、「大井川アプト式鉄道と紅葉の寸又峡・夢の吊橋」という旅行社の広告に誘われて、日帰りバスツアーに参加することにした。

 朝7時、中型バス2台が藤沢をそろって出発した。東名焼津で降り、大井川沿いに赤石山系へと分け入った。山間部に入ると、切り立った断崖絶壁が続く。軽自動車でさえすれ違いに困惑するような、細く曲がりくねった道を上っていった。出発から5時間、正午ちょうどにやっと寸又峡温泉の入口に着いた。

 紅葉を見に来たのに、ここまで紅葉らしいものはほとんど見られなかった。ガイドに渡されたマップに従って、温泉街を抜け寸又峡プロムナードコースと呼ばれる散策路をひたすら上っていった。その先にはダムがあり、夢の吊橋という名の吊橋も架けられた素晴らしい景観と紅葉が待っているはずだ。

 吊橋は、高低差50メートル以上はあろうかと思われるはるか下の方にあった。急な坂道を下り、長さ90メートルの揺れる吊橋をへっぴり腰になりながら渡った。その先には300段近い上りの石段が待っていた。息を切らしながら、やっと元の高さまで上がってきた。これから先、ダムの奥を迂回するように、反時計回りにもと来た道に戻っていかなければならない。

 すでに70分が経過しようとしていた。そういえば、吊橋は10人しか乗ってはいけないと書かれており、そこで渋滞したため時間を大きくロスしてしまったようだ。それまでほとんど意識していなかったが、必ず帰って来いといわれていた1時半までにあと20分しかなかった。この後乗車を予定している大井川鉄道の発車時刻に間に合わなくなる。事態の深刻さに初めて気がついた。

 坂道を転がるように下っていった。途中から、ガイドに電話を入れて時間厳守は厳しいと伝えた。周りのことなどまったく目に入らなかった。ただ駆けに駆けた。バスには1時42~3分ごろ着いた。私たちが最後の客だった。

 大井川鉄道の発車時刻には奇跡的に間に合った。もし、という事態になれば、同行したバス2台分の乗客に大変な迷惑をかけることになるところだった。いま考えてみると、渡されたマップにはおおよその所要時間が記載されており、温泉街を抜けた先からでも90分はかかるとあった。ガイドから明確な事前説明はなかったが、他の客たちはほぼ全員が途中であきらめて引き返したようだ。

 あたりの山々に少しは紅葉があったような気もするが、まったく印象に残っていない。まして、32年前、猟銃をもって立て籠ったあの金嬉老事件の現場・ふじみや旅館などチラとさえ見ることができなかった。ただプロムナードと呼ばれる散策路と温泉街を駆け抜けてきただけだった。

 この後の、大井川鉄道での素晴らしい体験に期待するしかなかった。
(2011年11月27日)