死に体

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風を感じ、ときを想う日記(442)6/5
死に体

 あの茶番劇を見ていて、すぐ“死に体”という言葉を思い起こした。わが家の辞書によると、死に体とは、「相撲で、相手に攻められて体勢が崩れてしまい、もう逆転しうる可能性が少しもないような、体の状態」と説明されている。

 似たようなものは海の向こうにもある。“レイム・ダック(lame duck)”という言葉である。コンサイス英和辞典によると、「‐蔑、⊂蔑、《米話》次の任期には再選されず現任期の間近な議員[など]」と説明されている。

 一度口から出た“辞任”という言葉を、二度とその口に戻すことはできない。自身でそれを口にした人を、誰も本気で相手にはしない。それを聞いた途端、心はその人から離れ、次に向かうのはごく自然のことである。たとえそれが総理大臣であろうと変わりはない。

 外交についても例外ではありえない。後任の総理が決まるまで、空白は避けようがない。ただ例外は、総理という職が国内の最高権力者であり、その職にある限り人事権を持っていることである。少なくとも国内では、それを盾に関係者を無理やり服従させることはできる。ただし、服従した人のやることが、その場しのぎになることは目に見えている。

 死に体の総理がその椅子にしがみついていることくらい、醜く、かつ国民にとって不幸なことはない。