悪夢の助演者・他人事

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[風を感じ、ときを想う日記](427)3/22
悪夢の助演者・他人事

 私たちは、大震災の被災者救援と復興に向けて、みんなで一丸となって取り組まなければならない。ところが、原発事故の行方が予断を許さないため、一般国民の目はどうしてもそちらの方に引っ張られてしまう。震災については対岸の火事でも見ているようで、我がこととして捉えきれていないようである。

 第一、あの悪夢の名前でさえそれぞれの思惑でバラバラに使われている。東北関東大震災東日本大震災東日本巨大地震、東日本大地震、そして東北地方太平洋沖地震、私が目にするものだけでも5種類はある。地震そのものがテーマなのか、その結果発生した被害に取り組んでいこうというのか。

 原発事故に関する記者会見だって、完全に3チャンネルが並立している。官房長官東京電力、そして原子力安全・保安院。なぜ、当事者である東京電力に一元化しないのだろう。国の存亡にかかわる重大問題との認識なら、当事者を担保する形で官房長官が脇に控えていればいい。国が前面に出たいのら順番を逆にすればいい。多元並立は責任の所在を曖昧にし、混乱を招くだけである。

 計画停電にしても、どこか他人事のような運用に見える。東京の23区は、そのほぼ全域が対象から外されている。国の中心だからなのか?それならそれでなぜきちんと説明しないのだろう。政権の幹部は、“シッカリ”という言葉を好んで使うが、悪夢を自身のこととしてシッカリと責任を果たしてほしい。