観艦式

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[エッセイ 260](新作)
観艦式

 「天気晴朗にして波穏やかなり」。相模湾沖でクライマックスを迎えようとしているとき、興奮を抑えきれない私の口からこんなフレーズが飛び出した。

 1905年5月27日、日本の連合艦隊日本海においてロシアのバルチック艦隊を迎え撃ちこれを撃滅した。このとき、連合艦隊から大本営に送られたのがあの有名な電報である。「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」。私が口にしたのは、その電文を穏やかにもじったものである。

 事実、私の参観した予行のこの日は、ベタ凪に柔らかな日差しのそそぐ、なんともうららかな晩秋の一日であった。その洋上にパレードの隊列がととのった。護衛艦12隻、潜水艦3隻などあわせて29隻の艦艇、それに航空機25機とヘリ10機が参加した海上自衛隊最大のイベント・観艦式の始まりである。今年は、10月の21日と23日に予行が行われ、25日に本番が挙行される。

 自衛隊の最高指揮官である総理大臣が観閲する観艦式は、年に一度、事情によっては数年に一度開かれる。昭和32年に第1回が開かれて以来、今年で26回目を迎える。最初のころは東京湾や大阪湾のような比較的小さな湾で開催されていたが、昭和56年以降はほぼ一貫して相模湾で行われている。

 午前8時に横須賀など3つの港を出航した各艦艇は、隊列を整えながら約3時間をかけて相模湾沖に向かう。観閲官である総理大臣はヘリコプターで現れ、午前11時に城ケ島沖で観閲艦となる護衛艦「くらま」に乗り込む。観閲側のくらま以下の9隻はそのまま西にむかう。一方、観閲を受ける側の旗艦・護衛艦「あしがら」以下の20隻は、相模湾の西側に先回りして進路を東にとる。

 観閲側部隊、受閲側部隊、共に一列縦隊になって相模湾外洋中央部ですれ違う。先頭が出あうのがちょうど正午、それから20分間にわたって観閲が行われる。すれ違ったあと、双方Uターンして12時36分に再び出会う。今度は航空機を交えた実戦さながらの“展示”が、31分間にわたって繰り広げられる。

 午後1時45分、総理大臣はヘリコプターで観閲艦を離れる。予行で私も乗せてもらった護衛艦・あしがらや他の艦艇も、隊列を維持したまま帰途につき、午後4時半ごろには元の桟橋に係留される。

 もし、この壮大なスケールのイベントを民間企業が観光ショーとして実施するとしたら、総費用はどれくらいかかるだろう。観光客一人当たりの見物料金はいくらくらいになるだろう。数百年後、地球上から戦争が消え平和な時代がやってきたとき、もし同じ観艦式が行われるとしたら、いまの武者行列のような無形文化財と位置づけされるだろうか。
(2009年10月24日)

追記
護衛艦「くらま」は、このイベントが終わった後、母港の佐世保に帰る途中、関門海峡で韓国のコンテナ船と衝突した。