イチロー

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[エッセイ 75](既発表 5年前の作品)
イチロー

 山口県内を走る国道262号線を、イチローロードと名づけられないだろうか。そんな記事が新聞に大きく出ていた。なるほど、イチローの今シーズンの安打記録は262本。もちろん、大リーグの新たな最多安打記録である。

 たたきつけられた打球は、大きくバウンドして三塁手の頭上を越えた。イチローは、最初の打席で伝説の記録257本に並んだ。スタンドの観客は総立ちとなり、イチローコールが巻き起こる。第2打席。ファウルを2回続けたあとの4球目。91マイルの速球はイチローによってセンター前にはじき返された。大リーグ記録が84年ぶりに塗り替えられた瞬間である。

 今年、イチローはすでに日米通算2000本安打、そして4年連続シーズン200本安打を達成しており、それに続く歴史的な大記録である。今シーズンのイチローは、最終安打数を262本まで伸ばし大リーグ記録をさらに更新、打率は3割7分2厘で2度目の首位打者に輝いた。走、攻、守、三拍子揃ったスリルあふれるイチローの野球は、米国人に新たな野球観を植えつけた。

 イチローが258本目の安打を放ったとき、スタンドの観客はもとよりそれまでの記録保持者であったシスラーの家族そして対戦相手の選手までが彼の大記録達成を称えた。このすがすがしい光景を見て、サッカーアジアカップの中国での苦々しい光景を思い出した。

 そういえば、日本も同じようなレベルであった。1985年、阪神のバースは、巨人戦を2試合残して54本のホームランをマークしていた。そのときの巨人の監督は、55本の日本記録を持つ王であった。巨人の投手は徹底した敬遠策をとり続け、バースにバットを振る機会を与えず王の記録を守り抜いた。2001年の近鉄のローズ、2002年の西武カブレラの例もそうであった。

 いずれの場合も5試合も残してすでに55本をマークしていた。それが、まったく同じやり方で記録更新が阻まれてしまった。アメリカでも30年前はそうであった。755本のホームラン記録を持つ黒人ハンク・アーロンの記録が、ベーブ・ルースの714本に迫ったとき100万通近い脅迫状が来たという。

 記録は破られるためにある。破られて当然である。もしいつまでも破られることがないとすれば、その部門は進歩のない忘れられた存在であるか、あるいはその記録そのものがもともと挑戦に値しないものであったかのいずれかである。シスラーの家族は、ホームラン競争の影ですっかり忘れ去られていたおじいさんの偉大な記録が、84年も経って日の目を見るようになったことをとても喜んでいたという。

 もうぼつぼつ、偏狭な○○愛、△△イズムから抜け出してもいいころではなかろうか。
(2004年10月10日)