オリンピック

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[エッセイ 71](既発表 5年前の作品)
オリンピック

 競技の数だけドラマがあるという。そのアテネの空の下では、300ものドラマが生まれたことになる。今回の日本選手団の前評判は非常に高かった。その分、ドラマの起伏も大きなものとなった。
 
 当日、柔道100キロ級の井上康生は順調に勝ちあがり準決勝に臨んだ。なぜか、相手選手に2つもの有効ポイントを先取りされてしまった。取り返すべく前に出たところを、今度は背負い投げで一本を決められた。敗者復活戦に回っての2回戦では、大内刈りに出たところを裏投げの大内返しで一本負けしてしまった。

 アテネでも金メダルに一番近いといわれていた男に、一体何が起こったのだろう。新聞はこの日、「技・体に心ついていかず、五輪連覇逃がした井上」「負けることが怖くなっていた」「その日に、完全に自らの心と体をコントロールしきれるものしか、祝福を受ける権利はない」などと評した。
 
 ドラマの主役を見事に演じきったのは野口みずきである。150センチのその小柄な野口が、巧妙な作戦と強い意志によってものすごいことをやってのけた。25、5キロでスパートをかけ、27、5キロからは独走態勢を築いた。聞けば、あとで嘔吐したという。世界記録保持者までが途中棄権せざるをえない過酷なレースで、よくもまあ42キロを走りぬいたものである。

 日本が獲得したメダルの数は、金が16個、銀と銅を加えると全部で37個となり史上最多を更新した。アテネに臨むにあたっては、「ゴールドプラン」というメダル獲得率倍増作戦があったそうだ。今大会での獲得率は4、1パーセントに達し、目標としていた「8年前の実績1、7パーセントの2倍」を大きく超えた。
 
 オリンピックは、楽しくそして面白くなければならない。楽しいとは、運動会のような雰囲気であろうか。クーベルタン男爵が提唱した「参加することに意義がある」は、町内のそうした催しものをイメージしたものかもしれない。

 面白さとは、受ける感動の大きさのことであり、それは真剣さに比例する。競技が、一発勝負であるからこそ真剣さも極限に近いものとなる。国の威信がかかり、当人の後半生までも左右されかねないとすればなおさらのことである。

 今回も、日本人は愛国者に大変身した。活躍した選手の地元では、郷土愛が異常な高まりをみせた。こうした表舞台の華やかさの陰で、またもドーピング疑惑が取りざたされた。ギリシャは、他国の有力選手に自国籍を簡単に与えメダル獲得を目指したという。アンフェアは、せっかくの感動をぶち壊し、後味の悪さだけをおいていく。

 ドラマの続編は北京に引き継がれた。一段とたくましく成長した井上選手の勇姿を、ぜひもう一度見たいものである。
(2004年9月4日)