尾瀬

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[エッセイ 67](既発表 5年前の作品)
尾瀬

 この季節になると、「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」のメロディーがつい口をついて出てくる。この透きとおるようなメロディーと、水芭蕉というふだん目にすることのできない神秘的な花の名前が、私の尾瀬へのイメージを大きく膨らませていった。

 数年前、その永年の夢が実現した。バスは、早朝に新宿を発ち尾瀬の玄関口である鳩待峠にむかった。バスを降ろされた私たちは、そこから湿原までの細い山道を1時間近くかけてくだっていった。木道は、湿原の中央部に向かってまっすぐ伸びていた。山ノ鼻から尾瀬ガ原三叉へ、そこを右に抜けて湿原中央部の竜宮十字路まで、あわせて4キロ余りを一気に歩いた。時計は4時少し前を指していたが、小雨も降りだし人影はまばらになってきた。私たちは十字路を左に曲がり、黄昏の迫った木道を急いだ。

 予約してあった東電小屋に辿り着いた時、あたりは薄暗くなっていた。男女別々の部屋と聞かされていたが、私たち夫婦に割り当てられた部屋は同じ番号であった。これはよかったと思ったが、10畳くらいの和室にはすでに8人がふとんを敷いて寝転んでいた。男女同数なので、私たちがこの部屋に割り当てられた理由はすぐ理解できた。

 しかし、空いたスペースはどこにも見当たらない。8人は、部屋の中央に足を向けあって4人ずつが反対向きに転がっていたので、その中央部分を空けてもらうことにした。私たちはそこに縦列にふとんを敷き、足を向けあって寝ようとしたが、両側の16本の足が熟睡を許さなかった。

 東電小屋は2食がついてビールも飲めた。お風呂にも入れたが石鹸は使うことを許されなかった。翌日、せっかくだからと三条ノ滝まで足を伸ばしたのはよかったが、鳩待峠までの最後の上り坂であごを出すはめになってしまった。

 それにしても、とてつもなく広い湿原である。木道が細く伸びたそのはるか彼方に至仏山の威容が望める。水芭蕉は終わりかけていたが、台地状の場所には日光キスゲがいまを盛りと咲き誇っていた。人のための木道はよく整備されているが、車両などの機械類はもちろん見当たらない。しょいこに食糧や飲料を高く積み上げ、徒歩で運んでいるごうりきには思わず頭が下がった。

 豊かな自然を楽しみたい。豊かな自然を残したい。この2つは誰にも異存のないところであろう。しかし、豊かな自然を誰もが手軽に楽しめるようにしようとすれば、どうしてもその自然に手を加えざるをえない。手軽になれば、人はおのずと押しかけ、自然は少なからず破壊されてしまう。

 現時点では、豊かな自然を楽しむことと残すこととは真っ向から対立する関係にある。両方がこの矛盾から解き放たれるまで、規制や不便は甘んじて容認しなければなるまい。
(2004年7月31日)