カラオケ

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[エッセイ 61](既発表 5年前の作品)
カラオケ

 わが家では、夫婦そろって天童よしみの「美しい昔」がお気に入りである。もとはベトナムの歌であるが、ややエキゾチックな感じもあってそのメロディーは新鮮で美しい。声量のある彼女が朗々と歌っているせいか、歌そのものがたいへん大きく感じられる。今年に入って何かの歌謡番組で歌われたものをレコーディングし、夫婦二人で一生懸命おぼえようとしている。いずれ近いうちに機会をみてカラオケで試してみるつもりである。

 わが家は、昭和51年春から5年間、転勤で仙台に住んでいた。1年くらい経ったころだったろうか、古くからお付き合いのあった方が訪ねてこられた。今夜はどうしても仙台で歌をうたいたいとせがまれ、ピアノの置いてあるバーを探し回ったことがある。それからまもなく、仙台駅では「いい日旅立ち」が流れるようになり、スナックでは「青葉城恋歌」がテープカラオケで歌われるようになった。

 数年を経ずしてレーザーカラオケが登場し、歌詞カードを見なくても歌える時代がやってきた。カラオケ機器メーカーは、海外に日本発の新しい音楽文化を発信し始めた。世が平成に移るや、カラオケルームが全国的な人気を呼ぶようになる。技術は日進月歩、ここ10年は通信カラオケの時代が続いている。新曲が全国どこででもすぐに歌えるようになったが、その一方、ディスプレーの画面と歌の内容が一致しないという許されざる行為が堂々と続けられている。

 業界の調べでは、カラオケ機器の稼働台数はカラオケボックスで13万7千台、酒場で24万台、その他で10万台、あわせて47万7千台が年間8千億円を稼ぎ出しているそうだ。カラオケ人口は、ピーク時の平成6年には日本人2人に1人の5千9百万人に達した。現在はやや落ち着いているが、それでも4千8百万人が常連客として名を連ねているらしい。

 カラオケは、なぜこうも日本中で、そして世界中で愛されるのだろう。理由は簡単である。面白いから、そしてなによりも、もっとも安直に自己実現を図れるからである。人は誰でも、自分を広く他人に認めてもらいたいと思っている。自分の考えていること、やっていること、もっと突き詰めれば自分の存在そのものをひとに認めてもらいたいわけである。

 人間が社会的な動物である以上、群の中でより信頼される存在を求めるのは本能のなせる業である。人はまた、感情の動物である。旧きよき時代を懐かしみノスタルジアに浸りたい時もある。落ち込んでいるとき、嬉しさにあふれている時もある。体の中から思いっきり声を出せば、これらの欲求はわずか100円で瞬時に実現される。カラオケは、その時にぴったりの歌を4万曲の中から用意してくれる。
(2004年6月19日)