伊勢神宮

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[エッセイ 245](新作)
伊勢神宮

 宗教の聖地といえば深山幽谷の地がよく似合う。八百万(やおよろず)の神の頂点に立つ伊勢神宮が、なぜ海に近い平地にあるのだろう。天皇と密接な関係にありながら、なぜ都からかけ離れた場所に祭られているのだろう。どうして、20年ごとに遷宮を繰り返さなければならないのだろう。

 第10代崇神天皇の御代(前97~前30)、疫病が大流行して国の存亡すら危うい事態になった。天皇は、“祭事”と“政事”を一緒に行っているところにその原因があると考えた。そこで、皇居内に祭られていた天照大御神を皇女・豊鍬入姫命に、倭大国魂神を皇女・渟名城姫命にそれぞれ託した。
 
 第11代垂仁天皇の御代(前29~70)、天照大御神の祭事は皇女・倭姫命に引き継がれた。彼女は、笠縫邑の祭場をもっといい場所に移したいとの天皇の意を受けて、適地を探す諸国巡幸の旅に出た。伊勢の五十鈴川上流に至ったとき、天照大御神のお告げがあってここを永遠の鎮座の地とすることに決めた。

 第21代雄略天皇の御代(456~479)、天皇豊受大御神を丹後の国から伊勢の山田が原にお迎えするように、との天照大御神のお告げを実行した(477)。こうして伊勢の地に、天照大御神を祭る内宮と豊受大御神を祭る外宮が揃った。

 第40代天武天皇(673~686)の発意によって、全てを一新させる式年遷宮の導入が決まり、第41代持統天皇の御代(686~697)に第1回目が行われた(690)。式年遷宮とは、20年に一度、正殿以下すべての社殿を造りかえ、また装束・神宝の一切を新調して、天照大御神に新しい正殿に移っていただく神事である。すでに61回実施されているが、次の62回目は平成25年に行われる。

 すべてを水に流して一から出直すのは日本人の得意技であるが、天武天皇の発意もその辺から出てきたものだろうか。あるいは、式年遷宮の発想が、年月をかけて日本人の体質を変えていったのだろうか。550億円といわれる費用をもったいないと思うか、あるいは効果的な経済活性化策とみるべきだろうか。

 内宮への入口である宇治橋も20年ごとに架け替えられる。こちらは式年遷宮の4年前に行われることになっており、いまはその工事の真最中であった。すでに橋桁までは完成していたが、珍しい行事に巡りあえて大変幸運であった。

 内宮の正殿は一番奥の巨大な杉木立の中におかれている。正殿前に立っても、五重の玉垣に囲まれ、正面にはとばりが下されて賽銭箱以外なにも見えない。一般の参拝者は一番外側、玉ぐし料を奮発した人は一つ内側、総理大臣はさらにその内側、そして一番内側まで入れるのは天皇陛下だけである。

 神の前ではみな平等のはずだが、ここでは身分によって厳しく差別されている。ま、ご利益さえあれば、そんなに目くじらを立てることもあるまい。
(2009年6月15日)

写真:上 伊勢神宮 内宮
   下 工事中の宇治橋