インターネット

イメージ 1

[エッセイ 17](既発表 6年前の作品)
インターネット

 昨夜は、夕食のあと家族でテレビを見た。番組は、いつも楽しみにしているNHKの「ためして合点」である。今回のテーマは、豆についての特別番組であった。その中身は、豆の種類、豆の料理それに豆の健康への効果であった。

 豆料理のレシピは、番組の最後にまとめて案内された。家内はそのレシピを書き取ろうとしたが、半分も書かないうちに画面が変わってしまった。NHKのホームページで調べてあげるよ。そういいながら、私は画面に表示されたアドレスを書き取ろうとした。しかし、これもまた全部書かないうちに消えてしまった。

 私は、パソコンを立ち上げインターネットに接続した。そのホームページはすぐ探し当てることができた。家内に見せると、今度はそのレシピを書き取ろうとする。私は、それを制してプリンターに接続した。私たちは、きれいなカラー刷りのレシピを簡単に手に入れることができた。
 
 実をいうと、1ヵ月前にプロバイダーと契約したばかりである。そのねらいは、ニューヨークに転勤している息子と頻繁に交信するためである。インターネットで双方の様子を伝えあい、たまには、孫達の写真も送信してもらいたいからである。最近は、国内の友人数人ともメール交換を楽しんでいる。
 
 これは、契約手続きをしている途中で知ったことであるが、わが家で契約したものは電話もインターネット回線を使うものであった。いわゆるIP電話である。両端の市内回線は従来と変わらないが、途中の回線はインターネット回線を使うため料金がかからない。全国どこへかけても3分7円50銭、外国については地域によって多少異なるが肝心のアメリカとは1分2円50銭で話しができる。通話の品質は多少劣るが、この料金には換えがたい魅力がある。
 
 インターネットを利用していなかった時でも、コミュニケーションについて特別に困ったことはなかった。しかし、インターネットを利用してみてはじめてその便利さがわかった。世界中どこからでも欲しい情報を得ることができる。何かちょっと調べたいことがあると、すぐインターネットで検索する。百科事典や辞書も必要なくなってきた。この年齢になると、ブランド品に執着するなどということはなくなってきたが、その気になれば地球上のあらゆるところから欲しい品物を買い求めることもできる。
 
 便利さと危険は表裏一体の関係にある。セキュリティーには十分すぎるほどの注意が必要である。ウイルスにも細心の注意が要求される。人類がインターネットに頼りすぎた結果、自分たちの本来備えていなければならない重要な能力がどんどん退化していく危険性もある。インターネットに振り回されることなく、十分使いこなして快適にエンジョイしたい。
(2003年5月29日)