屋形船

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[エッセイ 242](新作)
屋形船

 JR浜松町駅のすぐ南側を、古川という掘割のような小さな川が流れている。渋谷方面から、東に向かって都心を縫うように流れてくる。あと3~4百メートルも下ればそこは東京湾である。

 高齢者40名の乗った新鋭の屋形船は、金杉橋の袂からそこを抜けて芝浦海岸へと漕ぎ出していった。左手は竹芝ふ頭、右手は日の出ふ頭、そして前方には晴海ふ頭が望める。右前方にはレインボーブリッジも見えてきた。ときおり、横波を受けて揺れることはあるが、湾内はいたって静かである。

 海に出ると、各テーブルにビールが運ばれてきた。もちろん焼酎やウイスキーも用意されている。舟盛りなどの料理は、乗船前にすでにセットされていた。船内が少しずつにぎやかになってきた。揚げたてのてんぷらが一品ずつ運ばれてくる。日常を、そして陸を離れ、海の上で味わう酒肴はまた格別である。

 やがて、船はレインボーブリッジをくぐりお台場側へと抜け、お台場海浜公園との間で停留状態に入った。周りの景色でも眺めながらゆっくりと歓談してほしいということであろう。しかし、この日は曇り空で、せっかくの景色もどんよりと霞んで見えた。

 案内パンフレットによると、隅田川やディズニーランド沖あたりまでクルージングすることになっているが今回はそんな様子は見られない。しかし、私たちもそれにこだわるつもりはない。昔のよきライバルと、仲の良かった同僚と、非日常の中で語り合うことにこそ屋形船の意義があるのだ。

 船はまた少しずつ動き出した。もと来た方角へとスピードをあげていく。びっしりとつながれた屋形船の群れを縫うように、あっという間に元の船着き場に戻ってきた。

 屋形船は、平安時代の貴族の遊びに起源をもつといわれる。江戸時代になると、大名や豪商が花見や花火見物にそれを取り入れ大いに盛り上がった。しかし、1682年に大船禁止令というのが出て一気に衰退していったという。

 戦後、経済が復興しても、河川や海の汚れもあってなかなか発展のきっかけをつかむことができなかった。そんななか、屋形船でのパーティーに参加してみて、その発展と隆昌ぶりにすっかり驚かされてしまった。

 ちなみに、私たちの利用した定員63名の船を例にあげると、掘りごたつ式お座敷で、空調、ウォシュレット式トイレ、最新式通信カラオケ、展望スカイデッキの各設備が完備した豪華船である。このような新鋭船が、古川の船着き場にも所狭しと係留されている。

 こうして、会社のOB会は、現役社員の助けも借りて大盛況のうちに終った。
(2009年5月21日)