学芸会

イメージ 1

[エッセイ 227](新作)
学芸会

 太平洋戦争末期、広島市近郊のある山村でのお話である。若者は次々と戦争に駆り出され、村は一段と寂しさを募らせていった。そんな中、唯一村人を元気づけていたのがお寺の鐘の音であった。

 その鐘も、兵器の材料として供出させられることになった。村はいっそう寂しくなり、残された村人たちはさらに元気をなくしていった。それに追い打ちをかけたのが、村出身の若者たちをも巻き込んだ米軍の原爆投下であった。

 あれから50年、ふとしたことから、あのお寺の鐘が潰されることなく元の軍需工場に残っていたことが判明した。鐘は、無事もとの鐘楼に迎えられ、村人たちは元気を取り戻していった。

 こんな演劇が、小学校3年生百数十名によってプログラムの最初に演じられた。セリフと合唱だけの20分程度の短編であるが、よく練られた脚本と児童たちの真摯な演技にどんどん引き込まれていった。

 プログラムの最後は、これも百名を超える6年生の楽器の大合奏である。楽器の得意な子供もいればそうでもない子供もいるはずだ。それでもさすがはトリを務めるだけのことはある。息をあわせて見事な演奏を聴かせてくれた。

 先日参観させてもらった孫たちの通う小学校の学芸会は、父兄や来賓を招いて、こんなにぎやかな雰囲気で繰り広げられた。演劇、合唱、合奏など、学年単位に6本の出し物で構成された全員参加のパフォーマンスであった。私たちの二人の孫は、最初の演劇と最後の合奏にさっそうと登場した。

 文化祭、学校祭、学芸会、その呼び方はいろいろであるが、こうした学芸的な学校行事は、学習指導要領において時間内の履修が義務づけられているという。荒廃が懸念される現代の教育現場にあって、仲間意識、自主性あるいは達成感といった子供たちの意識の面で一定の効果が期待できるという。

 むかし、学芸会といえば童話やおとぎ話の劇が多かった。成績優秀な子供が桃太郎に、二番手の連中が犬や猿の絵の描かれた冠をかぶって後に続く。残りの児童は、よくても赤鬼や青鬼の端役が回ってくるくらいであった。演じる子供たちも、それを見守る親たちも、その気持は複雑であったはずだ。それでも、そういうものだと割り切り、翌日からまた仲良く遊んでいたように思う。

 いまは、百名を超える子供たちに、その機会がなるべく均等にわたるよう求められている。わずか20分程度の枠でそのニーズに対応しようとすれば、合唱や合奏が多くなるのは当然の帰結といえよう。それでも、舞台には見事な花が咲き、新たな感動の渦が巻き起こる。

 子供たちの心の中にまた一つ、潤いに満ちたヒダが加えられたはずである。
(2008年12月9日)