ユリ

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[エッセイ 214](新作)
ユリ

 わが家の近辺では、もう一ヵ月近くもユリの花が咲いている。もちろん、同じ茎に同じ花が咲きつづけているわけではない。花の色や形はもとより、大きさや咲いている場所も少しずつ変わってきている。

 毎年、季節になると新聞の販売店が花の球根を届けてくれる。かつてはチューリップであったが、近年はもっぱらユリに絞られている。なかには、生ゴミとしてそのまま捨てられるものもあるかもしれないが、戸建住宅中心のこのあたりでは大半がちゃんと植えられているようである。

 ユリは多年草である。花が終わり茎が枯れても、また翌年になると茎が伸び花を咲かせる。こうして、新聞販売店から届けられた球根は年々花壇に蓄積され、ついにユリいっぱいの住宅街になってしまった。

 むかし、ある村に恋仲の若い男女がいた。二人は、故あって無理やりその仲を引き裂かれる。乙女は、悲しみのあまりユリの花に変身してしまう。青年は、ユリになった恋人にいつでも水をあげられるようにと、神様に頼んで雨雲に身を変えてもらったという。

 それ以来、日照りになると村の娘たちが乙女の歌を歌ってユリの種をまくそうだ。すると、青年が流した涙が雨となって土地を潤すという。ロシアのコーカサス地方には、ユリにまつわる伝説としてこんなお話が伝わっている。

 ユリの仲間、なかでも白ユリは清純なイメージに包まれている。そして、それにふさわしい、純潔、栄華、威厳といった花ことばが授けられている。それもそのはず、キリスト教では白ユリはマドンナ・リリーといわれ、聖母や聖人にささげられる花として復活祭になくてはならない花だそうだ。

 日本では、「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と謳われ、ユリはボタンやシャクヤクとともに、美人女性の代名詞として日常的に使われている。現代では、動的な要素が美人の重要な要件になっていることを考えれば、これら三種類の中でもユリが一番それにかなっているのではなかろうか。

 広辞林によると、ユリは「多年草で葉はササに似ており、花は六枚に分かれた大きな釣鐘形で、鱗茎は球形で食用になる。カノコユリテッポウユリオニユリ、ヒメユリ、クルマユリヤマユリなど種類はきわめて多い」とある。

 ユリは、花だけでなくその球根も、食用や薬用として永く人々に愛されてきた。ユリの球根は、鱗片とよばれるウロコのような形をしたものが、百枚近くも重なり合ってできていることから「百合」と書くようになったという。人々の関心が、花よりもむしろ球根にあったことの証ではなかろうか。

 ユリは、球根で身体を、花で心をいたわってくれる人に優しい植物である。
(2008年7月14日)