雨の七夕

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[風を感じ、ときを想う日記](180)7/7
雨の七夕

 本来の七夕の日なのに、さすがに空いていた。雨、月曜日、それも10時になったばかりのいわば早朝の時間帯である。露店など、まだ準備中であった。

 昨年に続き、今年も平塚の七夕見物に出かけた。洞爺湖サミットのことも気にはなったが、そちらは福田さんにお任せし、当方は物見遊山としゃれ込んだ。笹飾りには、手の混んだものもたくさん見られた。北京オリンピックの関連など、時代の風潮を映す作品も数多く出展されていた。

 空いているといいことにも出くわす。閑散としているなかで、そこだけは人だかりができていた。見ると、うら若き乙女たち3人が浴衣姿でポーズをとっていた。通りのど真ん中でミス七夕の撮影会が行われていたのだ。

 彼女たちはさすがに傘を差していたが、カメラマンたちは雨など意に介さない様子で一心にシャッターを切っていた。ぶらぶら歩いていると、その集団もつぎつぎと移動してくる。散在する優秀作品を順を追って背景に入れようとしているのか、あるいは大口スポンサーに気を使ってのことであろうか。

 歩道には、みんなの願いがお星さまに届けられるようにと、短冊とペンも用意されていた。一枚100円というのが気になるが、みんなの幸せを考えてのまじめな願いもたくさん含まれているはずである。こうした庶民の小さな願いが、天の川に反射して洞爺湖に集う要人たちにも届いてくれることを祈りたい。

 昼過ぎに帰宅してみると、神職の友人から七夕についてのエッセイが届いていた。本人のご了承をいただいたのでご紹介したい。(原文のまま)

【七夕祭の神道的考察】
 星祭と呼ばれている七夕行事は、江戸幕府が定めた式日では五節供の一つ。中国で古くから伝わる習俗、牽牛と織女の話と、日本でも年に一度の神の訪れを、水辺の機屋で待ち、神と共に一夜を過ごす聖なる乙女『棚機女(たなばたつめ)』の信仰があり、それが習合している。
 
 またこれに因んだ『乞巧奠(きこうてん)』という裁縫や書道の技芸の上達を祈る女の祭も移入されおり、笹竹の短冊や飾り物は夏の風物詩となっている。これは近世の手習い教授の普及の産物とみる説もある。

 よく考えてみると、くらしの上ではこの時期、祖霊祭の行われる重要な機会であることに気付く。七夕祭は、むしろ盆の祖霊祭に先行する招霊のための行事であって盆行事と切り離しては考えられない。 

 祖霊を迎えるための灯明を大型にしたものに、津軽のネブタや秋田の竿頭などがあり、笹飾りを大型化したものが仙台や平塚の七夕飾りがある。ネブタや笹飾りも七夕が終わると海や川に流す風習があり、一つは『祓』一つは『祖霊の神送り』の意味がある。

 いずれにしても七夕にまつわる行事が神や先祖を迎え、一夜を過ごした後に送るという意味をもった例として考えられる。  (参考文献 神道辞典等)

写真 上:平塚七夕とミス七夕
    下:特選に選ばれた作品