古希

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[エッセイ 205](新作)
古希
 
 中学校をいっしょに卒業した人121人、うちいままで生き永らえてきた人推定98人、今回の集まりに参加した人39人。記念写真の背景には、満開のソメイヨシノが華を添えていた。

 先日、ふるさとの大畠瀬戸を望むリゾートホテルで、中学校の同期会が開かれた。卒業以来、半世紀を超える54年の歳月が流れていた。ここ数年、毎年のように集まっているので、懐かしさもやや薄れてはきたが、それでも、なかには本当に半世紀ぶりに肩を抱き合う場面もあった。まだ話をしていない人もたくさんいたのに、予定の5時間はあっという間に過ぎてしまった。

 実はこの集まり、お互いの古希を祝う会でもあった。「古希」とは、七十歳の長寿を祝う節目である。もとは、中国の詩聖・杜甫(とほ・712~770)の「曲江二首」と題する詞の第二首にでてくる言葉である。

 朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰 酒債尋常行処有 人生七十古来稀(以下略)。朝廷での仕事を終えて退出するたびに、春服を質に入れ、毎日のようにその金で曲江のほとりで酒に酔いしれては家に帰る。酒代の借金も当り前のことになり、あちこちにたまっている。しかし、人の寿命には限りがあって、古来、七十まで長生きするものはめずらしいのだ。(訳引用・故事成語で見る中国史)
 
 現在では、七十歳は普通になった。現に、121人のうち、98人、率にして81パーセントの人が生き残っている。それもいたって元気だ。いまや七十歳は、長生きどころかはなたれ小僧でしかない。

 平均余命という数値がある。そのときのゼロ歳児があと何年生きられるかという推計値である。終戦直後の昭和22年には、男50、06歳、女53、96歳であった。それが、昭和50年には、男71、73歳、女76、89歳と、両性とも古希を超えた。現在では、男78歳台、女85歳台にまで伸びているはずである。

 しかし、人の命に限りがあることに変りはない。ギネスの記録では、今までに120歳を超えた人は2人しかいない。NO、1はフランスのジャンヌ・カルマンという女性(1997年8月没)で122年と164日間生きた。NO、2は日本の泉重千代さんという男性(1986年2月没)で120年と185日を生き抜いた。

 長寿を祝う節目は、還暦(61歳=数え・・以下同じ)に始まる。続いて、古希(70)、喜寿(77)、傘寿(80)、米寿(88)、卒寿(90)、白寿(99)、百寿(100)、茶寿(108)、皇寿(111)、そして大還暦(120歳)となる。

 私たちは、やっと第二段階にたどりついたばかりである。はたしてどの節目までいけるだろうか。世界中でまだ2人しか到達していない大還暦まで生きたとしてもあと50年しかない。せめて、残りの人生を有意義に送りたいものだ。
(2008年4月19日)