東京マラソン

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[エッセイ 198](新作)
東京マラソン
 
 日比谷方面から続くランナーの帯は、銀座4丁目交差点で左に曲がり、銀座通りを北に向かって流れていく。ときおり、反対方向から若い選手がやってきて、ものすごい勢いで駆け抜けていく。この活きのいい選手たち、すれ違う集団に比べ2倍くらいの速さに感じられる。

 その日の午前11時頃、私はその銀座4丁目角の三越の前にいた。日比谷から晴海通りに入ってきた選手たちは、そこを左折して浅草に向かう。雷門前で折り返した彼らは、同じルートを戻り目の前で左に折れて再び晴海通りに入る。

 出発点の都庁前からこの交差点までおよそ21キロ、浅草までの往復を加えると再び晴海通りに戻るまでの累積はおよそ34キロになる。通りの向こう側を流れる群とこちら側の選手とでは、およそ13キロの差がついていることになる。

 今年の東京マラソンには15万人の応募者があったという。その中から、抽選で32,400人が選ばれた。この内、10キロコースにエントリーした人が5,000人、あとの27,400人は42キロのフルマラソンへの挑戦者であった。

 大会のために動員されたボランティアは15,000人、沿道に設置された臨時トイレは960基、そしてエネルギー補給のために用意されたバナナは6万本に上った。東京の幹線道路を、長時間にわたって封鎖しての大イベントであった。費用のかなりの部分は、一人5,000円の参加料で賄われたという。

 午前9時10分、都庁前をスタートした。しかし、あまりにも人数が多かったため、全員がスタートし終わるのに20分間を要したという。老若男女、外国人はもとより、例の宮崎県知事まで加わって賑やかに駆け出していった。沿道には226万人が繰り出したという。最高気温は6、9度と結構寒かったが、好天に恵まれ華やかな応援風景が行く先々で繰り広げられた。

 所用を済ませて午後3時過ぎに元の交差点に戻ってみると、ランナーの帯はまだつながっていた。歩いている人、走ってはいるがあまり前に進んでいない人などその流れはよどみがちであった。スタートしてすでに6時間、この調子ではたして制限時間の7時間以内に滑り込めるのだろうか。

 帰宅後、テレビニュースを見て驚いた。完走した人は31,702人、その内フルマラソンの完走者は26,672人、完走率は97、4%に上ったという。この数字、その根性、凡人から見ればまさに驚異的である。

 それにしても、参加者たちはどのような気持ちで参加し、どのような心理状態で走り抜いたのであろう。ただ走るだけなら、自宅のまわりを一人で走ればいい。やはり、大勢が集う大会に加わり実際に走ってみなければ、その醍醐味と達成感を味わうことはできないのであろう。
(2008年2月19日)