人日の節句

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[エッセイ 195](新作)
人日の節句(じんじつのせっく)
 
 正月三が日を過ぎると、八百屋の店頭には春の七草が並べられる。せり(芹)、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、ほとけのざ(こおにたびらこ)、すずな(かぶ)それにすずしろ(大根)の7種類である。

 これらは、人日の節句のお祝いとして食べる七草粥(ななくさがゆ)の材料となる。この、まさに人のための節句は、五節句の一つとして1月7日にお祝いされる。ちなみに、他の4つの節句は、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、それに9月9日の重陽節句である。

 他の4つの節句が奇数の重なった日であるのに対し、この節句は1月1日ではなく1月7日になっている。五節句の本家である古代中国では、新しい年の獣畜や人の運勢を、元旦から毎日一種類ずつ占ったという。鶏、狗、猪、羊、牛、馬と順に進み、7日目にやっと人の番になった。

 その日は、該当する動物は殺さなかった。人日の節句には人を敬い、犯罪者の処刑も見送られた。占いは、その日の天候をもとにしたという。晴れなら吉、雨なら凶の兆しがあるとみたようだ。お正月は元旦からなにかと行事が重なるので、このような理屈をつけて日程を大幅にずらしたとも考えられる。

 人日の節句が日本に入ってきたのは平安時代といわれている。それが江戸時代には武士や庶民の間に広く定着し、江戸幕府の公式行事にもなった。この日は、将軍以下すべての武士が七草粥を食べて邪気を払い一年の無病息災を祈った。七草粥は、このような呪術の意味合いのほか、おせち料理で疲れた胃を休め、冬場に不足しがちな新鮮野菜を補給するという健康面の効能もある。

 七草は、前夜のうちにまな板の上で叩いて細かく刻んでおく。このとき、鳥追い歌に由来する囃し歌を歌う風習があったという。歌詞は、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、・・」などというものだったそうだ。

 囃し歌の文句は地方によって多少異なるようだが、大陸からやってくる害鳥を、日本に着く前に海に落としてしまおうということのようだ。「ツバメが来る前に、早く起きて食べてなさい」。七草の朝、母からよくこんなことをいわれていたが、これは囃し歌の内容が誤って伝えられたものではなかろうか。

 百人一首の、「君がため 春の野に出て若菜摘む わが衣手にゆきはふりつつ」(光孝天皇・830‐887)に詠われている若菜は春の七草のことだそうだ。平安の昔から親しまれているその若菜を、小寒のいま野辺で全部揃えようとするのは容易なことではあるまい。それでも、当時の旧暦に置き換えれば、明るい日差しのもとで籠いっぱいに新芽を集めることができるはずである。

 ここまで書いてハッとした。今朝のメインディッシュはパンと牛乳だった。
(2008年1月7日)