戦艦 陸奥

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[風を感じ、ときを想う日記](95)6/8
戦艦 陸奥

 ある日、自宅そばの砂浜に大きな鯛がたくさん流れ着いた。近所の人はみな拾っていたが、母はえたいが知れないので拾ってくるなと厳しくとがめた。太平洋戦争の最中、私がまだ4歳半のころの話である。

 後年、沖合で戦艦陸奥がなぞの爆沈を遂げたという話が伝わってきた。その無数の鯛たちは、陸奥の爆発のあおりを受けて浮き上がってきたものと思われる。その戦艦陸奥が沈没したのが、1943年の今日、6月8日のことである。

 もちろん、当時は情報統制が厳しかったので、そんな大事件があったなどということは誰も知らなかった。流れ着いたのは大きな鯛ばかりであったが、彼らは深いところにいるので、海底まで届くような大きな爆発であったようだ。

 そのとき乗組んでいた人は1,474名、助かったのは353名、艦と運命をともにした人は1,121名にのぼる。

 陸奥は、1970年から引き上げが始まり、その75パーセントが回収されたという。わが故郷には陸奥記念館がおかれ、艦の主要部分や乗組員の遺品などとともに往時をしのぶことができる。