七福神めぐり

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[エッセイ 157](新作)
七福神めぐり
 
 散歩でよく立ち寄る白旗神社には、同じ境内に毘沙門天がまつられている。インド出身のこの神様は、日本では智恵と勇気の守り神として信仰を集めている。私の町でも、毎年お正月になると七福神めぐりのスタンプラリーが行われる。この神社には、それを目当てにやってくる人も多い。私も、興味半分に説明書をかねたその台紙にスタンプを押してみた。

 自宅に戻ろうとしたら、すぐ近くに常光寺があるので行ってみたらとすすめられた。なるほど、そこから5分ほどのところに福禄寿がまつられていた。中国生まれのはげ頭のこの老人は、幸福、財宝そして長寿を司る神様だそうだ。こうして、私もなんとなくそのゲームの仲間入りをしてしまった。

 2日後に訪れた皇大神宮には、恵比寿様がまつられていた。右手に釣り竿、左手に鯛をかかえた、唯一日本出身の神様である。漁業と商売繁盛の神様として信仰を集めている。その近所には養命寺があり、あの太腹の布袋尊がまつられていた。七福神の中ではただ一人、実在の中国の賢人がモデルになっていると
いう。不老長寿、無病息災の神様として定着している。

 時宗の総本山、遊行寺の近くには、大黒天をまつった諏訪神社と寿老人のいる感応寺があった。インド生まれの大黒天は富貴や長寿の神様として、中国出身の寿老人は長寿の神様として広く信仰を集めている。

 実は、わがスタンプラリーは、七福神でありながら毘沙門天が2箇所設定されている。そのあとの1つは、五重塔でも有名なあの龍口寺にあった。そして最後は、江島神社に祭られている弁財天である。唯一女性の、それも若くて美人の神様である。もとはインドの河川の神であったという。商売や芸能の神様として広く信仰されている。

 この、全国どこにでもある七福神めぐりは、室町時代に京都で始まったらしい。そのころは、まだ信仰対象は定まっていなかったようだ。それが江戸に伝わると、七福神の顔ぶれも固まってきた。江戸幕府は、これを民生安定のために大いに奨励しそれが全国に広まっていったという。

 七福神がなぜこのようなメンバー構成になったのか、それぞれの神様のイメージがどのように形成されていったのかいま一つ定かではない。おそらく、庶民の願望が長い歳月をかけて徐々に具体化されていったものであろう。

 大は四国八十八箇所の巡礼から、小は町内の七福神めぐりまで、人はその過程で体内の毒素を吐き出し、外から多くのことを学び熟成させていくことができる。スタンプラリーは、小さなゴム印を大きな動機づけに変えることができる。夏休みはラジオ体操が、冬は七福神めぐりがおすすめである。
(2007年1月21日)

写真は、江ノ島江島神社境内にある弁財天。