とりあえず ビール!

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[エッセイ 30](既発表 3年前の作品)
とりあえず ビール!

 9月になって、やっと夏らしい日が続くようになった。「この夏一番」という暑さについての記録は、9月に入ってからのものがほとんどである。それでも、どこか好ましい暑さである。日本特有の蒸し暑さではない。からっとしていて、時折そよ風が吹きぬける。なにより、暑い時間帯が短くなり、朝夕はめっきり涼しくなってきた。

 こうなると、一段とビールがうまくなる。一日の仕事を終え、仲間と共に居酒屋にかけこむ。熱いおしぼりで一日の汗を拭い取る。冷たいビールが、喉を勢いよく駆け抜ける。これこそ至福の一瞬である。

 日本では、「とりあえずビール」というフレーズが結構頻繁に使われる。さんざん頭と体を使い、おまけに気配りまで十分すぎるほどやってきた。やっと開放されたアフターファイブではないか。たどり着いた居酒屋で、同じような気苦労はもう繰り返したくない。

 まずは一息入れ、和やかな雰囲気をつくり出すことが先決である。料理やお酒はそのあとでゆっくりと決めればいい。「とりあえずビール」とは、そのような心理状態の中から生まれてきた一種の生活の智恵ではなかろうか。

 そういえば、日本には昔から「つき出し」の習慣がある。前菜というほどかっこいいものではなく、残り物ではないかと疑いたくなるような簡単なつまみである。自分の食べたい料理、飲みたいお酒はとっくに決まっているのに、それを決めるのは実は非常に厄介なものである。お互いの好みや健康状態、さらには人間関係まで十分配慮する必要がある。

 つき出しは、一種の押し付けであり余計なものである。しかし、その場が和やかな雰囲気に変わるまでの「間」の小道具であるとすれば、「とりあえずビール」に匹敵する社会生活の智恵であり「間」の文化といえなくもない。

 それにしても、日本人は本当に料理の出来やお酒の種類にこだわらない人種なのだろうか。なぜみんな、なんでも「とりあえず」なのだろう。とりあえずとは、大勢の流れに従い乗っかることである。みんなと同じ流れに身を任すのが、一番気楽でリラックスできる方法なのである。

 日本では、居酒屋の料理やお酒はそれなりのレベルに達しており、メニューも好き嫌いの少ないものに絞り込まれている。客も平準化され、味や銘柄にこだわる人が少なくなったのもまた事実である。多くの人は、自分の好みを多少抑えてでも大勢に従うことのほうが、自身にとってよりリラックスできることを知っている。

 最後までとりあえずでは実も蓋もないが、あまり難しいことは考えないのが酒席の鉄則なのかもしれない。
(2003年9月6日)