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[エッセイ 70](既発表 2年前の作品)


 わが家でも、セミの抜け殻が庭木いっぱいにしがみついている。あたりがすっかり暗くなったころ、庭ではアブラゼミの羽化が始まった。カメラのフラッシュに動じることもない。一説では7年もの間地中で成長を続けてきた幼虫が、最後の華々しい舞台に踊り出る瞬間である。これから約2週間、エネルギーのありたけを燃やしてメスを求め、子孫を残すことに集中する。

 子供のころ、夏休みの宿題というとよくセミの標本を作った。子供の捕まえることのできるのは4種類、ニイニイゼミツクツクボウシアブラゼミそれにクマゼミである。単に4匹を並べてみても絵にはならないので、オスとメス、背中側と腹側のあわせて16種類をもっともらしくピンでとめる。

 背中側には雌雄の差はほとんど見られないが、腹側には2箇所に明確な違いがある。オスには、腹弁という鳴き声を発する器官のカバーが足のすぐ後ろに一対ついている。そして、あとの1箇所は雌雄のもっとも象徴的な部分である。

 ニイニイゼミアブラゼミはどうみてもあまり綺麗には見えない。彼らからは、格好にとらわれないスズメのしたたかな生命力を連想させられる。それにひきかえ、ツクツクボウシは非常にスマートであり、鳴き声はユニークである。

 クマゼミは、その名前にふさわしい黒いがっしりとした胴体に透き通った羽をそなえている。その雄姿は、名力士にも似て美しい。クマゼミをさらに格好よくしたのがミンミンゼミである。関東ではごくありふれた種であるが、わが故郷ではめったにお目にかかることのできない少年達のアイドルである。

 枯れ枝に産み付けられた卵が秋から翌年の初夏にかけて孵化し、地中に潜って木の根に取り付く。実際には4年から5年の歳月をかけ、樹液を吸いながら暗闇の中でその時を待つ。機が熟したと見るや夕闇の中に這い出る。セミはさなぎというステップを踏まず、幼虫からいきなり成虫に変身する。彼らの仲間は、世界中で約2千種類、日本には30種類がわが世の夏を謳歌している。

 「閑さや岩にしみ入蝉の声」。芭蕉に言われるまでもなく、その鳴き声はセミ時雨となって私たちの頭上に降り注ぐ。アブラゼミのあのジーという大合唱には、真夏の暑さを増幅させる効果があるようだ。シャ・シャ・シャ・シャと聞こえるあのクマゼミの騒音が、子供達の朝寝坊を妨げる。

 長いながいトンネルと、その先のギラギラとした真夏の太陽。その際立ったコントラストが、夏の半分にも満たない地上での短い命が、セミたちをいっそう鳴き急がせる。夏の盛りが過ぎるころ、その死骸が無造作に道端に転がっている。

 それにしても、セミの一生ってなんなのだろう。地球上の生態系の中でどのような役割を担っているのだろう。何かの、誰かの、はかない一生とダブって見えないだろうか。
(2004年8月28日)