クルージング

[エッセイ 118](新作)
クルージング

 4月初め、カルチャーセンターで親しくしていた友人が、豪華客船による世界一周の旅に出た。地球を西に回る、104日間の長旅だそうだ。その2日後、新しく生まれた飛鳥兇、やはり横浜の大桟橋を離れていった。こちらも100日を越える優雅な船旅だそうだ。
 
 私も、短期間ではあるがクルージングを経験したことがある。長年の勤めを退いた後、社員研修を業とするある企業にお世話になることになった。その会社では、海外での洋上研修が売上の半分以上を占めていた。本格的に仕事を手伝うにあたって、一度それを体験させてもらえることになった。
 
 香港に集結した研修生たちは、翌日の夕方、多くの外国人たちとともに豪華客船で九竜を出航した。南シナ海からトンキン湾に入り、海の桂林ともいわれるベトナム世界遺産ハロン湾まで行って帰る3泊4日のクルージングである。研修生たちは、すでに上海やシンガポールの現地企業で実地のセミナーを受けており、船内では理論面を中心に研修を受けることになっていた。

 乗り込んだ船は、スーパースター・レオという76,800トンの大型客船である。世界最大のフリーダム・オブ・ザ・シーズ(158,000トン)にはおよびもつかないが、日本最大級の飛鳥供48,600トン)より一回り以上大きい。劇場やレストラン、さらにはディスコやカジノまで、娯楽施設は十分すぎるほど揃っている。ちょっとした都市、それも外国のリゾート地に置かれた気分である。

 こうしたクルージングは、世界各地で年々盛んになってきているようだ。100日以上かけて世界を一周するものもあれば、ある海域を一回りするだけのものもある。お手軽なところでは、ふじ丸(23,200トン)の東京湾ワンナイトクルージングというのがあり、私も家族で利用したことがある。

 それにしても、クルージングには課題も多い。例えば世界一周の旅。100日以上の時間と、最低でも3、4百万の費用を覚悟しなければならない。もしそれらをクリアできても、身内に老人や病人がいて、後ろ髪をひかれるようなことがあっては踏み出すことはできない。

 そして、自分自身、長期にわたってそこに身をおくだけの自信があるだろうか。船内の医療体制に心配はないといっても、楽しく過ごせるだけの健康状態にあるのか。海の上という隔絶された世界、船という閉塞された空間に耐えられるのか。新しい人間関係、とくに外国人ともうまくやっていけるのだろうか。
クルージングには、こうした環境をプラス方向にエンジョイできる能力が要求される。最低でも、時間をうまくつぶすことができなければならない。

 還暦を過ぎた古い日本人には、しょせん無理な相談なのかもしれない。
(2006年4月23日)