立春

[ごあいさつ]
 このエッセイのシリーズは、2002年11月から書き始めたものです。2年半かけて103編を書き溜め、昨年8月に「珈琲のかおり」という書名で自費出版しました。

 その後、10編ほど溜まりましたので、こちらはブログで公開することにしました。
これからもスローペースではありますが、「珈琲のかおりのお届け人」として、月2編程度はみなさまにお届けしたいと思っています。

 つきましては、せっかく開設したブログですので、過去の作品も書いた時期に合わせて順次ご披露させていただくことにしました。その第1号は、2年前の2月1日に書いた「立春」です。


[エッセイ 46](既発表 2年前の作品)
立春

 寒川神社では、午前11時と午後2時の2回豆まきをする。参拝者にはテレビや自転車などの豪華景品が当たる。これは、節分の豆まきの予定を伝えるミニコミ紙の記事である。この新聞には、近くにある遊行寺江ノ島神社あるいは鶴岡八幡宮といった有名社寺の豆まきの行事予定がずらりと並んでいた。いずれも、有名人を呼んだり豪華景品を出したりと賑やかである。

 例年テレビニュースで話題になるのが、有名力士が登場する成田山新勝寺である。面白そうなのでそのホームページを開いてみた。年男の特別ゲストには、横綱朝青龍大関千代大海、前頭・闘牙それに前頭・出島の名前が並んでいた。また、NHK大河ドラマ新撰組」の出演者から、5名が参加する予定だそうだ。ちなみに、一般の人がそれに混じって豆まきをしようとすれば、参加料として8万円をお納めくださいとあった。

 今年は2月4日が立春にあたる。立春が新年であるとすると、そのイブともいうべき節分が大晦日に当たる。その夜を年越しといい、新年を迎えるにあたって前年の邪気をすべて祓う。そのお祓い行事の代表が豆まきである。たいていの社寺では、独自の行事とともに豆まきが行われる。豆まきの掛け声はもちろん「鬼は外、福は内」である。

 民間では、ヒイラギの枝にいわしの頭をつけたものを門戸に差し、日暮れになると例の掛け声とともに炒り豆をまく。その家の主人または男の子がまくのが慣わしである。その家の人たちはそのまかれた豆を自分の年齢の数だけ食べる。私など、この歳になるとノルマ達成も容易ではない。

 節分とは、季節の変わる時をいう。一夜明ければ立春、春の初めである。立春二十四節気の一つ、これからは15日毎に「雨水」、「啓蟄」、そして「春分」と続き、春本番に向けて歩速を速めていく。

 立春とは寒さが峠を越したことをいう。おみくじにたとえれば大凶を引いたようなものだ。もうこれ以上のどん底はない。鬼ももう来ない。すべてが上向きの状態にある。もちろん上への向き方は千差万別である。何もしなければどん底のまま、周囲が上向いた分だけ相対的には悪くなる。
 
 なにか行動を起こしても、変化に適応していなければ空回りと同じである。しかし今は上り坂、現実さえ直視していればおのずから答えが見えてくる。あとは、それから外れないための細心の注意と、やり遂げるだけの行動力があればいい。

 春に向かうと、木の芽が膨らむ、胸が膨らみ構想が膨らむ。何もかもが前向きの姿勢に変わってくる。福はもう目の前にある。手足を伸ばし、リラックスして思いっきり事にあたれば、今年もわが世の春を謳歌することができる。
(2004年2月1日)