同郷人の集い

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[風を感じ、ときを想う日記](467)10/17
同郷人の集い

 昨日は、同郷人の集い「東京東和町人会」総会が、築地本願寺の講堂で行われた。朝方まで強い雨がつづき参加者の足元を心配していたが、きれいに晴れ上がり、逆に季節外れの暑さに閉口させられることになった。

 参加者は老若男女あわせて75名、故郷からは町の幹部3人もかけつけてくれにぎやかな会合となった。今回は、以前、築地本願寺の「輪番」を勤められていたお坊さんも、郷里のお寺からわざわざはせ参じてくださった。この方は、築地本願寺を使わせていただくきっかけを作っていただいたお坊さんである。

 私が会長を務めさせていただいているこの会では、会合の冒頭次のような挨拶をさせてもらった。

 「・・・ところで、札幌から北へ60~70キロ、滝川市の近くに新十津川町という町がある。人口約7000人の小さな町である。ここは、1890年に奈良県十津川村から入植してき来た人たちによって拓かれた町である。

 この人たちが入植する前の年、1889年に、十津川村は大水害に見舞われ、甚大な被害を受けたそうだ。このときの被災者、600戸、2500人弱がこの新天地に移り住んだのだそうだ。
 
 あれは9月の21日だった。台風12号が日本本土を襲い紀伊半島を中心に大きな被害をもたらした。奈良県南端、和歌山県に接する人口4000人の十津川村は、水害による被害がとくに大きかった。

 新十津川町の人たちは、“母村”の一大事とばかり救援に立ちあがった。この13日、その新十津川町の町長らが十津川村を訪れ、6300万円と千羽鶴を届けたそうだ。6300万円の内訳は、町の会計から見舞金として5000万円、あとの1300万円は町民の寄付による義援金だそうだ。

 この例でもそうだし、東日本大震災のときもそうだったが、私は人々の「絆」の強さと大切さを改めて思い知らされた。と同時に、絆の原点がふる里にあることも再認識させられた。
今日は、その絆を、存分に確かめ合っていただきたい。・・・」

築地本願寺について
 築地本願寺は、浄土真宗本願寺派本願寺(京都の西本願寺)の、東京の別院である。したがって、住職は西本願寺の住職が兼務し、築地本願寺には住職の代理として「輪番」が置かれている。輪番は築地本願寺の事実上のトップであり、ある期間務めると異動があるようだ。
 築地本願寺の講堂で行うパーティーは、ホテルの宴会場などの場合とまったく変わらない。もちろん不謹慎なことは慎まなければならないが、これはホテルとて同じことである。カラオケも過去には折り込んだことがあるが、いまは自粛させてもらっている。