ワクチン接種を急ごう

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[エッセイ 600]

ワクチン接種を急ごう

 

 オリンピックに便乗したコロナ禍の第5波が、大きなうねりとなって私たちに襲いかかってきた。8月14日現在の状況を数字で見ると、コロナ感染者の累計は1,130,250人で総人口の0.9%、コロナによる死者数は15,402人でコロナ感染者累計の1.36%、総人口に対しては0.01%、となっている。

 

 ここで、過去5回の波の高さを、ピークの日の感染者数で見てみよう。第一波(20年4月11日)720人、第二波(20年8月7日)1,605人、第三波(21年1月8日)7,955人、第四波(21年5月18日)7,234人、そして第五波は21年8月13日の20,353人となっている。ここまで感染者が急増してくると、ワクチン接種を速やかにかつ徹底して実施するしかほかに対処策はなさそうだ。

 

 そのワクチンの接種状況を8月12日現在のデータでみると、少なくとも1回接種した人は61,757,353人で総人口比48.9%、65歳以上だけでみると88.2%となっている。さらに、そのうち2回まで終わった人は46,422,145人で全人口比36.8%、65歳以上だけで見ると83.8%に達している。コロナ感染者数に占める65歳以上の割合は、最新データ(東京都・7月中旬1週間)では3.7%で、総人口構成比の28.7%に比べ接種効果がいかに大きかったかが分かる。

 

 これについての政府の対応は、①医療従事者480万人優先接種-7月23日完了、②高齢者3,600万人2回接種-7月末8割方達成、③国民の4割以上2回接種-8月末完了、④国民の希望者全員接種-10~11月完了、となっている。そしてワクチン配送予定は、①9月末までにF社製170百万回分、M社製50百万回分、合計220百万回、②10、11月でF社製20百万回、全部合せてると240百万回、12,000万人分となり、総人口12,622万人の95%に達する。

 

 もし、国民全員が進んで接種を受ければ、11月ごろには収束の見通しがたつはずである。しかし、はたしてそうすんなりとうまくいくだろうか。その障害となりそうなのが、副作用を心配する人がたくさんいることである。拡散したデマに惑わされての、不安からくる接種辞退である。不妊、流産、マイクロチップ入りで国民を管理、遺伝情報が書き換えられる、磁石がくっつく等々。そしてもう一つは、拒否する自由と権利があるといったいわば積極的な辞退である。

 

 副作用については、その大小を問わず必ずついて回るものである。代償のない利益などあろうはずはない。代償をより小さく押さえ、利益をさらに大きくするのが科学の力である。私たちは、他人から感染させられない権利とともに、他人に感染させてはならないという義務も負う。ワクチンの接種による死亡事例は限りなくゼロに近いようだ。アマビエならぬワクチンのご利益(ごりやく)を信じて、ワクチンで自由気ままに振る舞える世の中を取り戻そうではないか。

                     (2021年8月16日 藤原吉弘)

お盆の墓参り

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[風を感じ、ときを想う日記](1055)8/12

お盆の墓参り

 

 週間天気予報によると、これから先ずっと雨になるという。お盆の4日間はもとより、向こう一週間ずっと降りっぱなしになるそうだ。しかも、沖縄と北海道の一部を除く全国的な規模でである。なんでも、梅雨末期のような激しい降り方になり、大きな災害さえ予想されるという。

 

 この辺りの雨の降り出しは、今日の午後からだという。そんな状況から、午前中にお墓参りに行くことにした。急遽支度を調え、花屋の開く時間を見計らって家を出た。店先にはたくさんのお参り用の束が用意されていた。

 

 墓地に着いて、あらためて驚いた。まだ早い時間なのに、周回道路の片側は横着駐車の列でいっぱいになっていた。広々とした駐車場が各所に用意されているのに、みなさんはちょっとでも歩くのがお嫌いなようだ。さいわいわが家の墓碑は駐車場のすぐ近くなので、そんな余計な横着はしなくて済む。

 

 散らかった落ち葉を拾い、墓石に着いたほこりをぬぐった。近くでも、同じようなことをしている人たちが何組もいた。曇り空だったので、前日のような暑さはなく助かった。花と線香をお供えして、あらためてお祈りを献げた。

 

 それにしても、お墓参りをして思いをはせるのはふるさとのことである。コロナ下だが、帰省できる人はいるのだろうか。盆踊りは例年どおり催されるのだろうか。そういえばもう2年半も帰省していない。

TOKYO 2020を振り返って

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[エッセイ 599]

TOKYO 2020を振り返って

 

 コロナ下で断行された17日間の東京オリンピックが終わった。前回、57年前の大会のときは、国立競技場の脇を走る中央線で毎日通勤していたが、オリンピックとはまったく無縁の生活だった。猛烈に働くことが奨励され、残業も深夜まで続いたので、テレビ観戦さえ叶わなかったのだ。それに引き替え、今回は巣ごもりが奨励されたこともあって、テレビ桟敷にかじりつきとなった。

 

 今回の東京大会は、半世紀以上の時を経て大きく変化していた。大会日数は15日間から17日間へ、そして競技種目は163種目から339種目へと増えた。今回初めてお目見えした種目だけでも空手、スケートボード、スポーツクライミング、そしてサーフィンがある。参加国も93ヵ国・地域から206ヵ国・地域へ、そして参加選手数は5,152名から11,092名へと倍増していた。

 

 それにしても、今回は異例ずくめの大会となった。1年延期に始まり、開会直前まで中止も検討されていた。観客も入れる入れないでぎりぎりまでもめ続けた。そして真夏に行われるということから、マラソンなどは札幌に移ることになった。ところがその札幌も酷暑が続き、当日は多少涼しくはなったとはいっても、結局、106名中30名もの途中棄権者を出すにいたった。

 

 あいにくといおうか、コロナ禍の第5波が、開幕を待ちかねていたかのようなものすごい勢いでこの列島に襲いかかってきた。そんなことから、開催場所は完全防御の隔絶された場所とせざるを得なかった。刑務所のような高い塀で囲まれたところか、あるいは絶海の孤島で行われているようなものだった。開催地は東京といっても、まったく別の世界で行われているのと同じことだった。

 

 それでも、始まってみると、夢のような素晴らしい物語が次々と生まれた。柔道の阿部兄妹とレスリングの川井姉妹による金メダルの揃い踏みは、初めて目にする感動的なドラマだった。また、スケートボードの幼ささえ残る若い金メダリストの誕生は、日本の将来に大きな希望を持たせてくれた。その一方、体操の内村選手など、連覇を果たせず寂しく去っていった姿もみんなの涙を誘った。

 

 それにしいても、柔道の躍進ぶりは見事だった。獲得した金メダルは9個に及んだ。おかげで、日本の獲得メダル数は、金が27個、銀が14個そして銅が17個、合計で58個にも達した。国別の金メダル獲得数は、アメリカの39個、中国の38個に続いて第3位となり、開催国としての面目をしっかりと保った。

 

 コロナ下、1年遅れ、そして酷暑という最悪の条件だったが、ボランティアの活躍も含めてみなよく頑張った。やはり、世界に誇れるニッポンであった。来日してくれた選手たちとは距離を置かなければならなかったが、世界の人々と日本人との距離は大きく縮まったのではなかろうか。

                          (2021年8月9日 藤原吉弘)

八月の風

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[風を感じ、ときを想う日記](1054)8/7

八月の風

 

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 

 ・・・夏の大型の花といえばヒマワリと相場は決まっていました。ところが近年、その黄色い花に赤系統のライバルが現われてきました。その巨大さはまるで小型扇風機のようです。

 

 あれは、どうやらアメリカ原産のアメリカフヨウと呼ばれる花のようです。アオイ科ハイビスカス属の宿根草で、別名をクサフヨウというそうです。花は一日花で、朝きれいに咲くが夕方には萎んでしまいます。花が終わると、やがて茎は枯れ株だけが残ります。翌春、そこから再び芽を出し、夏にはまたあの赤やピンクの大きな花を咲かせます。

 

 外来種といっても、いまや日本の夏に欠かせない存在になりつつあります。あでやかさとはなやかさもまたこの花の命です。優しい目で、大切に見守ってやりたいですね。・・・

 

 今回の原稿は、巣ごもりによる時間的な余裕もあって、ちょっと早めに用意していた。ところが、例によって今年は花の咲き具合が早く、8月になる頃には花が終わってしまうのではないかと心配することになった。

 

 それでも、結果的にはなんとか間に合ったので、オリンピック中継の合間を縫ってはアメリカフヨウの優美な姿を楽しんでいる。

それでも気儘に振る舞う?

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[風を感じ、ときを想う日記](1053)8/4

それでも気儘に振る舞う?

 

もし、コロナに本当に感染したら・・。

  • 救急車を呼ぶ。
  • さいわい、救急車は来たが、入院先が見つからない。
  • 入院先が見つかるまで、自宅の前で何時間も待たされる。
  • 最悪、8時間待ち、挙げ句の果てに50キロも先まで連れて行かれる。
  • さいわい入院先があっても、そこには誰も見舞いには来てくれない。
  • これはまだいい方だ。これからは自宅療養が原則となる。
  • 自宅療養中は誰が面倒を見る?いなければのたれ死にとなる。
  • 面倒を見る人がいても、その人に感染させてしまう。
  • 家族が複数いれば、連鎖的に感染は広がる。
  • 変異型の感染力は強く、ダメージはさらに大きくなる。
  • もし助かっても、後遺症は厳しく、しかも長期に亘って続く。
  • 続くだけならともかく、永遠に元には戻れないかもしれない。
  • もし、療養の効果がなければおだぶつとなる。
  • もし、おだぶつとなっても、誰もお別れはしてくれない。悪名だけが残る。

 

そんな危険を冒してまで、自由気儘に振る舞うこともないと思うよ!

コロナ禍・第5波

 

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[エッセイ 598]

コロナ禍・第5波

 

 コロナ禍の第5波が大波となって襲ってきた。1日あたりの感染者数はとうとう1万人を越えた。国民はひたすら巣ごもりに励む一方、飲食業を中心とした事業者は困窮の極みに達している。医療機関は昨年春以来逼迫を続け、医療従事者は緊張状態と多忙を極めている。それにもかかわらず、第5波は容赦なく国民の努力を踏みにじり、多くのひ弱な人を飲み込もうとしている。

 

 そのため、政府は、またも緊急事態宣言を出すにいたった。期間は8月2日から8月31日まで、対象は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、沖縄の6都府県である。ほかに、北海道、石川、京都、兵庫、福岡の5道府県が蔓延防止措置の対象になっている。昨年春以来の最大のピンチを迎えたわけである。

 

 その一方、繁華街への人出は期待していたほど減らず、一部の飲食店では飲酒の客で深夜まで賑わっているという。そして、東京オリンピックは中盤にさしかかり、日本の活躍もあってそれなりの盛り上がりをみせている。日本の金メダル獲得数は、早くも前回の東京大会を上回り、史上最高を記録するにいたった。こうした状況を反映してだろうか、感染者数は爆発的な拡大を続けている。

 

 ここで、現況をデータで見てみよう。感染者数累計は7月末時点で92万6千人、日本の総人口は1億2千536万人なので、感染者率は0.739%ということになる。感染経路は正確な統計はないが、東京都の会議で提示された直近1週間の値では、家庭内が大半の55.8%となっている。単純計算では、外からもらってきた人が全人口の0.327%、それをうつされた家族が0.412%となる。

 

 こうした混沌とした状況にあって、野党や評論家はもとより多くの国民も、政府や自治体の無策に批判を強めている。それに加えて、ワクチンが決め手といいながら、他の主要国に比べて大きく出遅れている。7月29日時点で、2回の接種を完了したのは3,514万人、全人口の28.0%にすぎない。国産ワクチンの開発にいたっては、年内はとても間に合いそうにないということである。

 

 どうしてこうももたついているのだろう。やはり世間でいわれているとおり、政府や自治体の実行力の弱さに加え、事なかれ主義がそれに輪をかけているということだろうか。片や一部の国民も、政府のいうことには耳を貸さず、自由気ままに振る舞っているのではなかろうか。上記の「外からもらってきた人0.327%=約41万人」のうちの何割かがそれに該当するはずである。

 

 一部の人は、もっと公権力の統制を強めるべきだと声をあげている。しかし、国や自治体の統制強化は極めて危険である。下手をすると、専制主義へと道を開くことにつながる。すでに1年半の苦い経験を積み、どうすればいいかみなよく分かっている。国民一人ひとりが、襟を正し、自身を律すべきである。

                       (2021年8月1日 藤原吉弘)

そうめん

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[エッセイ 597]

そうめん

 

 今日のお昼にはそうめんをいただいた。栄養バランスを考え、添え物は卵焼きとキュウリのほか、ちくわと魚肉ソーセージも用意してもらった。それにしても、暑いときは冷たい麺類に限る。よく冷やした麵を、薄味のつゆに浸してつるつると飲み込む。あの舌触り、あの喉越しの感触はまた格別である。

 

 子供の頃、麵といえばうどんかそうめんだった。そばは年末の大晦日に年越しそばとしていただくくらい、うどんは食糧不足の代用食でしかなかった。それにひきかえ、そうめんは粗食のはずなのに大変なご馳走だった。干し椎茸の香りとキュウリの歯ごたえが、子供の感性をもしっかりと掴んでくれた。

 

 そのそうめんは、室町時代に「索麵(さうめん)」という名で中国から伝えられてきた。索麵の「索」は縄をなうという意味があるそうだ。小麦粉に塩を加えて水で練り、縄をなうように引き延ばしていくことからそう呼ばれるようになった。江戸時代になると、そのさうめんが訛ってそうめんと呼ばれるようになり、字も「素麵」と書かれるようになったという。

 

 そうめんは、その製法によって手延べそうめんと機械そうめんに分けられる。手延べとは読んで字のごとく手作業で究極まで引っ張って延ばしたものであり、機械そうめんは機械で平らに延ばし細く切ったものである。それらの断面は、手延べそうめんは丸く、機械そうめんは四角くなっている。

 

 小麦粉で作る麵にはいろいろな種類があるが、その区別にはちゃんとした決まりがあるようだ。日本農林規格JAS規格)によると、そうめんは直径が1.3ミリ未満、うどんは1.7ミリ以上、そしてその中間が冷や麦ということになるそうだ。私たちは、その食感を季節とその時の気分によって使い分けている。

 

 そうめんの食べ方は代表的なものが薄味のつゆに麵を浸けていただくもの、つゆをかけていただくもの、そしてつゆに入れていただくものがある。前の二つは冷たいのをいただくが、三つ目は温かい状態でいただくのが普通である。いずれも、季節とアイディアが密接に結びついているようだ。

 

 ところで、そうめんがお盆と深い繋がりがあるように思われているのはなぜだろう。一説によると、ご先祖様が実家に里帰りされた喜びを、細長く持続させようと願うため。祭壇のお供えをご先祖様があの世に持ち帰られるとき、背負い紐として使うため。あるいは、帰りに乗られる精霊馬の手綱に使うため。そして、疫病退散の願いに古くから素麺が供えられていた、ということのようだ。

 

 そうめんには、流しそうめんといった遊び感覚の食べ方もあるが、こうしてみてくるとそうめんはやはり夏の食べ物のようだ。食欲の落ちる夏場を、そうめんを上手に食べ分けて乗り切っていきたいものだ。

                      (2021年7月28日 藤原吉弘)