薄い紅色と淡い紫色

[風を感じ、ときを想う日記](1253)4/24

薄い紅色と淡い紫色

 

 あれだけ賑やかな雰囲気を醸し出していた頭上の薄紅色が、旬日を経ずして今度は淡い紫色に変わり新たな雰囲気を漂わせ始めた。視界の上半分を彩る花の類いが、サクラからフジへと交替していったのだ。なんと鮮やかな変貌ぶりだろう。人々は、浮かれ心から一転して静かな雰囲気につつまれることになった。

 

 サクラの薄紅色は、みんなの気持をウキウキとさせるが、ピンクの度が過ぎるとふしだらな方向へと導きかねない危うさも秘めている。一方の紫色は、古来より高貴な色として尊ばれてきた。かつては、その色を身につけることを許されたのは、一部の上流階級の人たちに限られてさえいた。

 

 それでも、紫色の花はただの荒れ地にすら散見することができる。スギナやタンポポに混じって、道端に小さな花を咲かせるスミレたちである。いまでは、それよりずっと大きなパンジービオラにお株を奪われてしまったが、かつては宝塚少女歌劇団のテーマソングとして一世を風靡した可憐な花である。

 

 私たちの視線は、いま再びピンクや赤の色に移ってきた。個人の庭はもちろん、道路脇や公園に広く植えられているツツジが満開を迎えたのだ。きれいに整形された緑色に、赤い斑点が現われたかと思ったら、それが急速に広がりあっという間に赤またはピンク一色に変身してみなを驚かせる。

 

 その彼女たちも、鯉のぼりが下ろされるのを待ってやがて静かに消えていく。

ボタン満開

[風を感じ、ときを想う日記](1252)4/19

ボタン満開

 

 ご近所の庭では、ボタンの花が満開になっている。根元部分は一本のようだが、枝分かれした先には何輪もの大きな花がついている。垣根越しに見せる真っ赤な花は、その艶やかな姿を通りがかりの人にこれ見よがしにと披瀝している。 “絢爛豪華”のイメージを絵に表わすとすれば、このような情景になるのだろう。

 

 そうだ、この花はちらっと見るだけでなく、もう少しじっくりと楽しむべきだ。かくして、本格的な都市型公園である長久保公園へと向かった。ここには何種類ものボタンが植えられている。現地では、期待どおり色とりどりのボタンが、ちょうど満開をむかえていた。やはり花の王様だけのことはある。

 

 その公園は、多種多様な花々で埋め尽くされていた。うれしいことに、もう終わったと思われていたソメイヨシノまでがまだ残っていた。さらにうれしかったのは、その上空を鯉のぼりが泳いでいたことだ。そして、その足元を華やかに飾っているのが、チューリップやツツジたちだった。

 

 それにしても、今年は花の時期が集中しているようだ。例年なら、といっても近年だが、早春にサクラを楽しんだ後でほかの花を楽しむというのが慣例になりつつあった。それが、今年は大部分が4月上・中旬に集中している。開花のタイミングをもう少し分担してもらえると、花の愛好者も助かるというものだ。

 

 次の出番はフジの花だろうか。満開まで数日のところまで迫っている。

まるで・・吉野山!

[風を感じ、ときを想う日記](1251)4/15

まるで・・吉野山

 

 昨日は、箱根湯本のゴルフ場に出かけた。ホームコースの月例ゴルフコンペが予定されていたからだ。そこは、湯本の温泉街からちょっと奥に入ったところ、箱根新道とターンパイクに挟まれた山岳地帯である。山岳と言っても海抜はせいぜい2~3百メートル、箱根連山の裾野に当たるところである。

 

 なぜ、このページでわざわざ取り上げたか。実は、あまりにもすばらしい景色だったからだ。周りは、三方を山に囲まれ、南東方向だけ開けて遠く海まで見わたせる。山側も、眺める位置によって、眼に入る景色は大きく異なる。遠くは富士山、中くらいのところは丹沢山塊、そして仰ぎ見るのは箱根の山々である。

 

 その箱根の山が、いままるで吉野山のように色づいている。夏場は緑一色だが、この時期に限っては緑の中に満開のヤマザクラが点在し、場所によってはそれがまとまっている区域もある。薄桃色の花が点在している風景ももちろん美しいが、まとまっているあたりはまさに吉野山の絶景そのものである。

 

 雲一つない晴天、頬を撫でるのはそよ風、そして体感温度は20度前後とこれ以上を望んだら、それこそ罰が当たるというものだ。ゴルフコンペは参加することに意義があるが、この日のそれはこのコースに立ち周囲の景色を楽しむことにこそ意義があった。こんなすばらしい景色を楽しめるのは、長くても1~2週間程度、この日のコンペに参加できたことを大変幸運に思う。

 

写真:当日、カメラは持参していなかったので、大庭城址公園の山桜で間に合わせることにした。

スレート屋根にひびが・・

[風を感じ、ときを想う日記](1250)4/13

スレート屋根にひびが・・


 ピンポーン♪、「近所で工事をやっているものですが、お宅の屋根のスレートにひびがはいっていますよ!」。「ほっといてくださーい」。昼食直前のことだった。たまたま、インターフォンの近くにいた家内が応対した。よくあることなので、家内も即座にそう答えてそれ以上は相手にしなかった。実は、わが家の屋根はスレートではなく、ひびの入らない別の素材なのだ。

 

 それにしても、こうした詐欺紛いの訪問者は度々やってくる。つい2~3日前にも、「工事の挨拶に来ました」と得体の知れない男がインターフォンを押したばかりだ。電話に至ってはその頻度はもっと高い。中でも、「以前、床下のシロアリ対策をやらせてもらった業者ですが・・」という電話である。

 

 参考までに、以前エッセーのテーマとして取り上げた記事を紹介しておくと。「おせっかいな屋根屋」(エッセー529、2019,9,22)、「工事の挨拶に来ました」(エッセー566、2020,9,18)、「板金が剥がれていますよ!」(エッセー605、2021,9,26)。これらの記事は、ブログの「記事を検索」窓から簡単に検索できる。毎年9月に書いているようだが、台風シーズンと重なったためだろうか。

 

 ニュースを見ていると、詐欺事件が相変わらず多い。あれだけたくさんの事例が紹介されているのに・・。だます方が悪いに決まっているが、だまされる方にも責任があることをいまいちど自覚してほしいものだ。

虎に翼

[エッセイ 681]

虎に翼

 

 NHKの朝ドラは、4月から新しい物語に入った。直近の半年は賑やかな歌が売り物の笠置シズ子の半生だったが、今度は三淵嘉子という日本最初の法律家誕生のお話だそうだ。物語の展開を、NHKは次のように紹介している。・・日本初の女性弁護士、後に裁判官となった一人の女性、猪爪寅子のお話です。困難な時代に道なき道を開き、悩みながらも一歩ずつ成長していく姿を描きます。

 

 ドラマの題名は「虎に翼」となっている。天分に恵まれた人が、さらに法律の専門家という強い武器を持つようになったことからそう名付けられたようだ。しかし、もしそうだとしたら、普段使われることの多い「鬼に金棒」の方がわかりやすかったのではなかろうか。もっとも、主役が女性だから「鬼」では、ということだったのかもしれないが・・。

 

 ここで、ドラマのモデルとなった三淵嘉子についてちょっと触れておこう。生まれは1914年(大正3年)、逝去されたのは70年後の1984年(昭和59年)だった。日本初の女性弁護士の一人で、初の女性判事及び家庭裁判所長も努めた。ここで注目したいのは、彼女の生まれたのが大正3年、1914年だったということだ。この年は、「五黄の寅年」と呼ばれとくに注目されていたのだ。かつて騒ぎとなった「丙午(ひのえうま)」と似たような理由からである。

 

 中国の占いの一つに、9年を周期とする九星気学と呼ばれる説がある。この占いでは、九星のうち五星の年に生まれた人は強いパワーを持つといわれている。この五星が、十二支の12年周期でやってくる寅年と重なると、「五星の寅年」と呼ばれさらに特別な年となる。36年周期でやってくるこの五星の寅年に生まれた人は非常に強い運勢を持ち、とくに女性は強運の傾向が強いのだそうだ。

 

 新しいドラマの主人公は「ともこ」と呼ばれているが、それを漢字で書くと「寅子」となる。五星の寅年生まれを十分に意識してのことであろう。名字に「猪」をもってきたのも、強さを意識してのことと思われる。虎に翼とは、ただでさえ強い力を持つ者にさらに強い力が加わることのたとえである。類似の熟語には、鬼に金棒、虎の角、駆け馬に鞭、龍に翼、弁慶に薙刀などがある。

 

 あのドラマを見ていると、当時の日本がいかに男尊女卑の不平等な世の中だったかがよくわかる。そんな厳しい時代に、女性一人でよくもまあ新しい社会システムの変革に挑んでくれたものだ。さすが五星の寅年生まれ、やはり虎のような強力なパワーと翼のような機動力を備えていなければなしえなかったことである。このエピソードは、非力な私たちにこの上ない応援歌となる。

 

 翻って、現今の男女平等の平和な時代には、こんな熟語がお似合いではなかろうか。・・“ドジャースに大谷”、“大谷に新妻とデコピン”・・。

                      (2024年4月10日 藤原吉弘)

サクラ満開の引地川親水公園


[風を感じ、ときを想う日記](1249)4/7

サクラ満開の引地川親水公園

 

 引地川親水公園の、ソメイヨシノの開花は八分咲きを超える水準にまで進んでいた。2日前の、ほぼ四分咲きの状態から、満開と呼ばれるレベルにまで一気に突き進んでいだことになる。三日見ぬ間の・・といわれるまでもなく、わずか2日間で目指す水準にまで進んでいたわけだ。

 

 昨日は、午後の3時すぎまで用事があったので、現地に着いたのは4時に近かった。春休み中で、土曜日とも重なって相当混雑しているだろうと覚悟はしていたが、それでもなお駐車場に入るまでかなりの時間待たされた。帰る車が列をなしているのに、幹線道路に出る信号があまりにも短かすぎたためだ。

 

 お目当てのソメイヨシノは、引地川の岸辺にトンネル状になるよう遊歩道を挟んで2列に植えられている。それが両岸にあるので、サクラの帯は4列になる。この辺りを上空から眺めると、4列のピンクの太い帯が南北に連なって見えるはずだ。それらの帯は、橋と橋の間、1キロ超にわたって連なっている。

 

 それにしても、その2日前の大庭城址公園のサクラとダブルで、しかも時間差で楽しめるというのはありがたいことだ。一方は、雑木林に囲まれた小高い丘の上の古城の跡、片方は広く開けた川原の両岸に広がる四筋のサクラ並木、河川敷に咲く菜の花とのコントラストも見事である。ここの桜の木はまだまだ若い。来年は、さらに一回り大きくなって私たちを楽しませてくれるはずである。

サクラ満開の大庭城址公園

 


[風を感じ、ときを想う日記](1248)4/4

サクラ満開の大庭城址公園

 ここ一両日、町内の標準木と目されているソメイヨシノの様子が急に慌ただしくなってきた。“ひょっとして”と思い、急遽大庭城址公園に向かうことにした。今日は曇りだが、これから先も曇りや雨になると予想されるので、とにかくチャンスのあるときに行っておくべきだと考えたのだ。

 

 予想どおり、現地の状況は満開に近いところまで進んでいた。正確に言うと八分ちょっとといったところだ。名実ともに満開まで進むと散り出す花びらが多くなるので、これくらいが一番見ごろではなかろうか。人間にたとえれば、成人式直前の若者といったところだろう。

 

 川べりの駐車場との標高差はせいぜい30メートルしかない。雑木林の中を息を切らして登っていくと、城のあった頂上の広場にはまったく別の世界が開けていた。林に囲まれて風当りが弱いためか、サクラたちはすくすくと育ち、鈴なりに花を付けていた。まさにこの世の春を想起させる情景である。

 

 広場を囲むように植えられたソメイヨシノの薄紅色の花は、足元に広がる芝生の緑と見事なコントラストをなしていた。さらに外側の雑木林には、常緑樹に混じってヤマザクラの大木が散見され、別の美しさをアピールしていた。

 

 あと数日経つと、今度は引地川親水公園のサクラたちが見ごろを迎える。小高い丘と麓の河川敷、なんと二段重ねに私たちを楽しませてくれるはずである。

 

写真の説明:1~3枚目:城址公園の広場の様子

      4枚目:山桜の大木

      5枚目:引地川の様子