浄土宗

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[エッセイ 291]
浄土宗

 今日の新聞に、浄土宗のトップである浄土門主の坪井俊映師が昨日亡くなったという記事が出ていた。95歳の大往生だったという。浄土宗では、元祖法然上人の八百年大遠忌を来年4月に控え、その準備に追われている最中であったはずだ。坪井師も、それを目前にしてのことでさぞ残念であったろう。

 実は、私の実家は浄土宗の壇信徒ということになっている。菩提寺の総本山は京都東山の知恩院である。そんな親近感から、知恩院には出張の折に見物に立ち寄らせてもらったことがある。

 浄土宗の元祖は法然上人である。上人は、1133年に現在の岡山県で生まれた。1145年、12歳のときに比叡山に登り修行の道に入った。法然上人の師は最初は源光、後には叡空に代わったという。1175年、42歳のとき、比叡山を降りて京都東山の吉水という地に草庵を結んだ。ここを拠点に念仏の教えを広める活動に入った。浄土宗では、この年を浄土宗の立教・開宗の年としている。

 上人の教えは、「南無阿弥陀仏を一心に唱えよ」というものであった。しかし、この教えを仏教の旧勢力から激しく糾弾され、1207年、四国に流罪にされることになる。1211年、赦免されて京都に戻るが、翌1212年、79歳で東山の地に没す。浄土宗の本尊は阿弥陀如来、教義は専修念仏―いかなる者も、弥陀(阿弥陀如来)の名を一心に唱え続ければ極楽往生できるという思想である。

 法然上人は寺院を造らなかった。知恩院の創建は1175年となっているが、これはその草庵が起源となっており、上人没後は廟として弟子たちが護っていた。その廟も延暦寺の僧によって打ち壊されるなどの変転をたどる。1234年、四条天皇から「華頂山知恩院大谷寺」という寺号を下賜され廟を再興するが、その後も大規模な施設は造られなかったという。本格的な施設は徳川の世になってからである。徳川家が浄土宗の壇信徒であったためといわれている。

 1608年、家康の手によって建設工事が始まり、徳川三代の手を経て1641年家光の時代にほぼ現在の壮大な姿が完成する。知恩院の本尊は阿弥陀如来法然上人であり、阿弥陀堂と本堂(御影堂)にそれぞれ安置されている。その本堂と、規模日本一ともいわれる三門(山門)は国宝に指定されている。

 上人が没してまもなく800年が経つ。このため、来年には「八百年大遠忌」という五十年に一度といわれる大法要が行われる。これに合わせて、各種記念行事や国宝の知恩院御影堂などの大修繕も行われる。

 さきほど、わが菩提寺の総代から、その八百年大遠忌事業に協力願いたいとの書状が届いた。わが家も応分の志納をさせてもらったばかりである。これでわが一族も、あの世で肩身の狭い思いをしなくて済みそうだ。
(2010年9月7日)