[エッセイ 695]
十三夜
昨日、10月15日の夜は「十三夜」にあたっていた。十三夜とは、旧暦9月13日の、月齢が満月直前の13日目になったときの月夜のことである。十三夜は、中秋の名月である「十五夜」の次に美しいとして、この夜の月を愛でる風習である。十五夜は大陸あたりからきた催しのようだが、十三夜は平安時代、醍醐天皇のころに生まれた日本独特の風習のようだ。照明設備などまだ十分に整っていない時代のこと、せっかく澄み切った夜空が広がる秋になったのだから、十五夜一回だけの月見ではもったいないということのようだ。
先輩格の十五夜は、彼岸の中日にあらわれることから、月の神さまに豊作を祈るというものである。一方の十三夜は、秋の収穫への感謝をささげるものである。別名、十五夜は芋名月、十三夜は栗名月、あるいは豆名月と呼ばれて親しまれてきた。旧暦8月15日の中秋の名月といわれる十五夜を楽しんだら、翌月の旧暦9月13日の満月直前の月も楽しむべきだということのようだ。娯楽の少ない大昔のこと、十五夜と十三夜の二つをセットで楽しもうということらしい。昔の人は、これを「二夜の月」と呼んだそうだ。
実は、旧暦には閏9月のある年があり、十三夜が2回現われることがある。2回目の月夜は「後の十三夜」といわれ、この年は2回ほど名月を楽しむことができる。一方、来月11月10日、旧暦10月10日の月夜も名月といわれ、「十日夜(とうかんや)」と呼ばれてそれも楽しむことができる。旧暦の8月、9月、さらには10月の3回も眺められることからいっそう縁起がよくなるという。こうした言い伝えを裏返すと、十五夜か十三夜の片方しか見なかったら、片見月といって縁起が悪いとされ、月見を大いに楽しむべきだということのようだ。
ところで、私たちの世代は、十三夜というと、月齢のことよりその言葉の響きからつい歌謡曲のことを思い浮かべてしまう。“河岸の柳の行きずりに・・・青い月夜の 十三夜”。昭和18年発売の榎本美佐恵の歌である。昭和18年といえば、太平洋戦争の真っただ中、アッツ島の日本軍の玉砕や山本五十六長官の戦死など、戦況が敗戦に向けて大きく傾き始めたころである。そんなとき、こんななまめかしい歌がよくも世間に受け入れられたものだ。
余談はともかく、古来より十五夜と十三夜がクローズアップされてきたが、三番目の、今年でいえば10月17日の満月は「スーパームーン」といわれ、1年で最も大きく見える月である。地球の中心から月の中心までの距離は、一番遠い2月14日が406,000キロであるのに対し、一番近い10月17日は357,000キロと14%も大きく見えることになる。先月は十五夜の名月を愛で、昨夜は十三夜を楽しんだ。明日はぜひ、スーパームーンを存分に楽しみたいものだ。
(2024年10月16日 藤原吉弘)