[エッセイ 689]
パリ・ローマの旅 懐顧版③“ヴェルサイユ&モンマルトル”
その日、私達はパリでの二日目を迎えていた。しかし、行動予定はなにひとつ決まっていなかった。現役の、一番忙しい時期だったので、事前準備はもとより訪れる先などなにも勉強してこなかったのだ。そんな私たちをよそ目に、オプショナルツアーの人たちは、ヴェルサイユ宮殿へといそいそと出かけていった。
そうだ、我々もそこへ行ってみよう。ホテルからは、地下鉄とRERといわれる近郊鉄道を乗り継いでいけば、なんとか目的地に着けるはずだ。初めてのことなので不安も大きかったが、案ずるより生むが易し、いくつかの戸惑いを経験しながらも、約一時間後にはその宮殿で感嘆の声をあげることができた。
ここは、1682年から1789まで王朝の宮廷として、また当時の政府も置かれていたそうだ。仏文化の神髄を集めた絢爛豪華な宮殿で、ルイ14世から16世までの3代にわたる拠点だった。しかし、1793年、ルイ16世やマリー・アントワネットなどが断頭台の露と消えた後、長い間見捨てられていたそうだ。
その入場券売場で「ツー」というと、「ヤポネ?」と聞かれ、イエスというと日本語の案内テープを貸してくれた。テープの説明に従い館内をくまなく見ることができた。マリー・アントワネットの寝室だの、誰々の居室だのと、ただただ感嘆の声を上げるばかり、われわれとはまったく別の世界でしかなかった。
私たちは、薔薇のヴェルサイユから芸術の香り高いモンマルトルへとむかった。このときは、とくに目的があってのことではなく、その名前に馴染みがあっただけのことである。ヴェルサイユとはパリの街を挟んでちょうど反対側にあった。地下鉄の駅を出ると、道の反対側に細い上り坂がありその両側に土産物店が並んでいた。その坂道の正面丘の上に白いサクレクール寺院がそびえていた。
寺院の入り口まで上ってのパリの眺望は素晴らしいの一語に尽きた。館内をひととおり見物した後、その脇の石畳の道を散策することになった。まさに、芸術の丘、画家が絵を描いたり売ったりしていた。これから先は曲がりくねった下り坂になっていたが、まさに街そのものが絵であり“モンマルトル”だった。
その坂道を降りきったところで広い通りに出た。すると、いきなり大きな赤い風車が目に飛び込んできた。1889年に誕生したというキャバレーの“ムーランルージュ”らしい。実はつい最近、それの記事を見かけた。あの赤い風車が、今年の4月に壊れたばかりだそうだ。パリ・オリンピックに間に合わせようと修理を急ぎ、やっと7月4日に完成したのだそうだ。なんと、完成式典のお祝いに、店先でフレンチ・カンカンのショーダンスが披露されたそうだ。
このあと、都心部に戻り、シャンゼリゼでの夕食となるが、その時の様子はすでにエッセーとして投稿したことがある。(エッセー50「パリの肉料理」参照)
(2024年8月9日 藤原吉弘)
3枚目の写真は、ムーランルージュの完成式典のカンカン踊りの様子
――アサヒウィークリー(7月21日号)の紙面から拝借(ちょっと不鮮明だが・・)