老人クラブの劣化と再編

[エッセイ 653]

老人クラブの劣化と再編

 

 雨上がりの日曜日の朝8時、およそ20名の高齢者たちが公園の清掃を始めた。この公園、年末の落葉の最盛期を経て今がゴミの一番少ない時期である。およそ1時間で早々に作業は終わった。私たち老人クラブが担当する最後のお勤めだった。来月からは、作業の主体は町内の自治会に移り、高齢者たちはそのお手伝いに廻ることになっている。

 

 その公園清掃の1時間半後、今度は町内の集会所に席を設けて半年ぶりの会合を開いた。ひととおりの儀式が終わった後、アマチュア落語を楽しみ、最後に会食が行われた。コロナによる長い空白があったので、久し振りの会食会だった。しかし、この集まりは、私たちにとっては最後の記念すべきものとなった。この老人クラブは、3月をもって一旦幕を引き、町内の自治会に吸収されるのだ。

 

 「ゆうゆうクラブ」という名のこの老人クラブは、町内の高齢者を対象に、45年前に独立の会員組織として発足した。もとは大きな分譲地の集合体だったため、住人は同世代が多く、一時は制御しきれないほどの大人数に膨らんだ。そのため、途中で二つに分割して小回りの利く組織に改めたほどだ。組織の規模がピークに達した2000年代初めごろのことである。

 

 その頃のクラブは、老人会とはいってもまだ若々しいジイチャン・バアチャンの集まりだった。年数回の会食会、年1回の日帰りバス旅行、月1回の映画会など恒例行事を主催してきた。春休みや夏休みには子供たちを誘い出し、早朝のラジオ体操の会も主催した。さらには、グラウンド・ゴルフなどのクラブ活動も積極的に支援してきた。そして、町内の夏祭りには、ポップコーンやかき氷の店さらにはグラウンド・ゴルフゲームまで揃えて賑わいを手助けした。

 

 そんな生きのいい老人クラブに影が差しだしたのは、コロナに見舞われる4~5年くらい前からだ。メンバーそれぞれが、加齢とともに活力を失っていった。杖が必要になる人、通院が日常になる人、病院や施設に入らざるを得なくなる人、そして天に召される人も少しずつ増えていった。老人クラブのメンバーは、まさに歯が抜けるように一人抜け二人抜けと減っていった。

 

 この現象は、ある意味自然現象といえる。しかし、それなら減った分だけ新しいメンバーが入ってこなければならないはずである。ところが、分譲地であるがゆえの悲しさ、住人はほとんどが同じ世代で構成されており代わりがきわめて少ないのだ。住人の年齢構成がバランスを欠いているため、古い住人が抜けた後に入ってきた新しい住人が高齢になるまで少し時間がかかるのが実態なのだ。

 

 そんなことから、疲弊した老人クラブは、新しい住人が増え始めた自治会の一部門として、次の“新しい老人”に再生を託すことにしたしだいである。

                      (2023年3月20日 藤原吉弘)