山の日

[エッセイ 637]

山の日

 

 昨日、8月11日は山の日だった。いわれてみればそうだったかと気がつくが、なにかいま一つぴんとこない。“夏と海の日”ならなるほどと思うが、“夏と山の日”ではどうもしっくりとこない。さらに、この日が月遅れのお盆の直前ということも、その印象を薄くしているように思われる。もちろん、制定されてからまだ8年しか経っていないという歴史の浅さもそれに関係があるようだが。

 

 そんな親近感に乏しい山の日がなぜ制定されたのだろう。その主旨には、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」とあった。当初は、月遅れのお盆休暇と結びつけて、8月12日にしようという案もあったようだ。ところが、当日は日航機が墜落した日で、事故現場が御巣鷹の尾根だったことから、それとの重複を避けるため1日前にずらしたということらしい。

 

 その主旨に、山に親しむとあることから、登山やキャンプなどで山に親しんでみようというように解釈できる。ところが、私の場合は子供のころのイメージが強く、未だ前向きになれない理由があった。実家の周辺は、小規模な半農が大半だった。農地は山間地が多く、農作業に出かけることを「山に行く」といっていた。家事手伝いだったので、どちらかといえば尻込みしたかったのだ。

 

 そんなことから、山についての経験はきわめて浅いが、強いてあげればこんなことになる。徒歩で登った一番高い山は大山(神奈川・1,251m)、徒歩での一番低い山は鎌倉アルプス(神奈川・158m)、徒歩で一番長く歩いた山は尾瀬(北関東・延べ約15km)、乗り物を乗り継いで縦断した山は立山黒部アルペンルート(富山、長野・延べ37.4km、最高標高は室堂の2,450m)といったところである。

 

 ちなみに、外国で一番高いところまで登ったのは、西ヨーロッパ最高峰のモン・ブラン(フランス・標高4,810m、)である。もちろん、頂上までではなく、エギーユ・デゥ・ミディ展望台(標高3,842m)まで麓のシャモニ・モン・ブラン駅(標高1,035m)からロープウェイを乗り継いでのものである。他にも、マッターホルン(スイス・4,478m)やユング・フラウ(スイス・4,158m)にも頂上近くの展望台まで乗り物を乗り継いで登ったことがある。

 

 登山は、近隣の千メートル級の山々に順次チャレンジするつもりで始めてみた。しかし、金時山(1,213m)などいくつか挑んだところで自然と立ち消えになった。キャンプも、家族で試してみたことはあるが、こんな寝袋や不便な生活はいやだと長続きしなかった。これでもし山荘でも買っていたら、空き家となった実家の維持管理の大変さを思い出しすぐに手放してしまっただろう。

 

 それでも、山があるから平野が潤い、山があるから海が豊かになっている。いまいちど、山の存在と人との関わりについて考えてみよう。

                      (2022年8月12日 藤原吉弘)