十一月の風

[風を感じ、ときを想う日記](1149)11/4

十一月の風

 

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 

 ・・・立冬を前にサザンカが咲きはじめました。この花、漢字では山茶花と書きますが、どうひねってみてもサザンカとは読めません。実は、最初はサンサカと呼びそのとおり山茶花と書いていたそうです。それが、いつの間にか山と茶がひっくり返って茶山花となり、発音もサザンカと呼ぶようになったようです。ところが、呼び名はサザンカのまま定着したのに、漢字はいつの間にか元の山茶花に戻ってしまったのだそうです。

 

 そのサザンカの本家筋はツバキです。ところが、あの花は散るとき首からポトリと落ちるので、昔は武士から忌み嫌われたそうです。そのツバキに先駆けて咲き、終わるときはパラパラと散らすサザンカを、初冬の貴重な花として愛でてあげたいですね。・・・

 

 十一月になって、やっとあの赤い花が見られそうになってきた。そうはいっても、この周辺はまだ固い蕾ばかり、開花にはもう少し時間がかかりそうだ。それでも、歌謡曲に“赤く咲いても冬の花 咲いてさびしい・・”とあるように、寒さと寂しさを連れてきそうなので、そんなに急いでもらうこともなさそうだ。

 

 その点、同じ種類でも白い花はもうだいぶ前から咲きだしている。このところ好天続きなので、もうしばらくは白い花に頑張ってもらうことにしたい。

上弦の月

[風を感じ、ときを想う日記](1148)10/31

上弦の月

 

 一昨夜、土曜夜のことだった。町内会で花火大会をやるというので出かけてみることにした。会場は、私たちもグラウンド・ゴルフでよく利用する緑の広場と呼ばれる運動広場である。住宅街の中なので大規模な仕掛けはできないが、打ち上げ花火や“ナイヤガラの滝”もひととおり用意されていた。

 

 広場は、子連れで大変な賑わいだった。そんな華やかな雰囲気に囲まれながらも、西の空には上弦の月が静かに浮かんでいた。月齢でいうと5日目の、明るさにも乏しい地味な姿である。それでも、晩秋の雰囲気がよく表れた光景だった。

 

 わが家の西側は小高い丘になっており、マンションなどもあって、西に沈む夕日や月を眺めることはほとんどできない。せっかくの機会なので、次の夜も同じ場所から、少しばかり肉付きのよくなった月を眺めてみることにした。

 

 この夜も、月は西の空の低いところにかかっていた。旧暦6日目の、上弦目前の月である。月の左側、欠けている部分をやや上向きにしている。弓が、弦を左上にして、斜めに仰向けになった格好である。月には月齢に伴ういろいろな愛称があるが、闇夜から満月まで、ちょうど半分まで満ちた姿を上弦の月という。

 

 逆に、満月から闇夜に向かう途中、半分まで欠けた姿を下弦の月という。眺める者からみて、上弦と下弦は左右対称となる。どちらも似たようなものだが、満ちていく上弦の方により親近感を覚えるような気がする。

屋外照明のリニューアル

[風を感じ、ときを想う日記](1147)10/26

屋外照明のリニューアル

 

 門柱灯が点かなくなった。10ワットの蛍光灯の入った横長の屋外照明である。一方、玄関前の道路両脇には、水銀灯の明るい外灯が2本も立っている。したがって、わが家の門柱灯は、照明としてより人が住んでいるという証しとしての、防犯上の意味合いの方が強いようだ。かつて、町内会の防犯担当役員からそんな説明と協力要請があり、以来その維持管理には十分に注意を払ってきた。

 

 この門柱灯は新築当初からのもので、中の電球は何度か取り替えたことがある。今回も同じ電球を買ってきて取り替えた。ところが、新しい電球を取り付けてはみたが、点いたり消えたりを繰り返しまともな状態には安定しなかった。数十年にわたる屋外の厳しい環境が、器具本体を劣化させてしまったようだ。

 

 本体の取り替え工事は、素人にはちょっと危険を伴う。ところが、頼んだ業者も忙しくてなかなか時間をとってくれなかった。ただ、幸いなことに、玄関の外側にはポーチライトが設置されているのでそれに代役を担わせることにした。しかし、重なるときには重なるもの、数日後にはそちらの電球も切れてしまった。

 

 やっと取り付けの終わった門柱灯は、LED電球の入ったオレンジ色に輝く可愛いものだった。玄関のライトはもとから白熱灯だったが、こちらも色つきのLED電球に取り替えた。新しい器具の消費電力はいずれも4.4ワット、これでささやかではあるが省エネと町内の防犯に多少なりともお役に立てそうだ。

名曲フェスティバル

[風を感じ、ときを想う日記](1146)10/24

名曲フェスティバル

 

 昨夜9時過ぎ、入浴を済ませて名曲でも聴こうと思いNHKの「クラシック音楽館」にチャンネルを合せてみた。見覚えのある外国の老指揮者が写っていた。しかし、その背後に並ぶオーケストラはN響ではなかった。その顔ぶれも、日本人と外国人が半々くらいの構成だった。ホールもまったく馴染みのないもので、画面で見慣れた東京の有名ホールとは思えなかった。

 

 そこで、あらためて新聞のテレビ欄をチェックしてみた。その番組は、今年行われた「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」の中継録画だった。曲目は、武満徹のAn Autumn Odeやストラヴィンスキー春の祭典など、オーケストラはサイトウ・キネン・オーケストラ、指揮者はシャルル・デュトワ、そして録画日は8月26日だった。場所は、松本市のキッセイ文化ホールだった。

 

 このフェスティバル、1984年にサイトウ・キネン・フェスティバルとして松本市で産声を上げたものである。2015年からはコンサート名を「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」と改めた。一方、オーケストラ名はいまもそのまま引き継ぎ、さらに高みを目指して活動しているようだ。

 

 この番組の雰囲気は、いつもとずいぶん違っていた。新聞のテレビ欄の予告を引用すると、世界の名手たちが集結!小澤征爾総監督も舞台に登場、デュトワサイトウ・キネン・オーケストラが熱演・・とコメントされていた。

二度目の開花・金木犀

風を感じ、ときを想う日記(1145)10/17

二度目の開花・金木犀

 

 黄色い小さな花が、まるで香水でも振りまいたかのような、えもいわれぬいい香りを放ちながら二度目の満開を迎えた。そのキンモクセイは、近年、二度咲きが当たり前になったようだ。昨年など三度も咲いてみんなを驚かせた。どうして何度も咲くようになったのだろう。明確な説明には出会えていないが、うれしいような、それでいて「木は大丈夫かな」という心配も頭から離れない。

 

 いまは紅葉が進行するときで、逆に花は一年で一番少ない季節である。それだけに、あのいい香りの花が何度も咲いてくれることには心底から感謝しなければなるまい。まして、あまり歓迎したくないセイタカアワダチソウが、いま開花の時期を迎えている。自家中毒のせいだろうか、一時ほどの派手さはなくなったが、あの勢いを牽制する意味でも香りの花の開花は大変ありがたいことだ。

 

 それにしても、キンモクセイといい、セイタカアワダチソウといい、花の色は黄一色である。おまけに、広葉樹は落葉の時期を前に、その葉っぱを少しずつ黄色に変えている。葉っぱだけではない。近所の庭に植えられた柿やミカンの実まで黄色く色づき始めている。町内はまさに黄色のオンパレードといっていい。これで緑の葉っぱが散ってしまったら目も当てられない。

 

 しかし、自然とはよくしたものだ。木々の半分を常緑樹で占め、緑をきちんと維持しながらわたしたちの繊細な情緒を守ってくれている。

フェード現象によるバスの事故

[エッセイ 642]

フェード現象によるバスの事故

 

 昨日、静岡県小山町の県道「ふじあざみライン」の下り坂で、観光バスが道路の左側のり面に乗り上げて横転する事故があった。乗客乗員36名のうち1名が死亡、残り35名全員がケガをして病院に運ばれたという。このバスは富士山周辺を巡る日帰りツアーで、午前7時半ごろ狭山市を出発し、富士山須走口5合目を訪れた後、昼食のため沼津に向かう途中だったそうだ。

 

 事故の原因は、フェード現象によるブレーキの不具合とみられている。運転手の、「ブレーキが利かなくなった」という証言から、関係者は一様にそう受け止めているようだ。しかし、まがりなりにもプロを自認する運転手がなぜそんなお粗末なことをしたのだろう。下り坂でフットブレーキを使いすぎれば、フェード現象が起こることは免許証を持っている人なら誰でも知っていることだ。

 

 長い下り坂では、フットブレーキは極力控え、主にエンジンブレーキを使うのが鉄則である。数カ月前に、芦ノ湖から西湘バイパスに向けて箱根新道を下ったことがある。結構混み合っていて、せいぜい40~50キロしか出せなかったが、前方各車のブレーキランプの点灯はカーブ以外ではほとんど見られなかった。いずれも、エンジンブレーキの使用をきちんと励行していた証拠である。

 

 ところで、長い下り坂でフットブレーキを使いすぎたためにおこる不具合は、フェード現象のほかにベーパーロック現象というのもあるようだ。フットブレーキの構造は、足で踏んだ力を油圧でブレーキパッドに伝え、その摩擦によって車輪の回転を制御するものである。こうした不具合を予防するために、長い下り坂では、主にエンジンブレーキを使うことになっている。

 

 そのフェード現象とは、フットブレーキの使いすぎによってブレーキパッドの摩擦面が高熱となり、その摩擦力が減るかまったく無くなってしまう現象である。一方、ベーパーロック現象とは、制御の力を伝える油がブレーキパッドの摩擦熱によって沸騰し気泡をつくる現象である。運転手が踏んだペダルの力は、気泡によって吸収・遮断されてしまい、ブレーキは効かなくしてしまう。

 

 こうしたフェード現象やベーパーロック現象は、長い下り坂でフットブレーキを使うかぎり避けて通れないものである。そこで、エンジンの力でブレーキをかけようというのがエンジンブレーキである。ギアを低速にして、加速しようとする車をエンジンの力で無理矢理ゆっくり走らせようとするわけである。

 

 ところで、あの箱根新道の下り坂には、「ブレーキ故障車待避所」というのが数カ所設置されている。制御不能になった車はそこに乗り上げて大事故を未然に防ごうというわけである。あのバス事故は、待避所の代わりに左ののり面に乗り上げて、事故の被害を最小限に留めようとしたのではなかろうか。

                     (2022年10月14日 藤原吉弘)

スポーツの秋

[風を感じ、ときを想う日記](1144)10/9

スポーツの秋

 

 明日10月10日はスポーツの日である。その祭日のルーツは、1964年に開かれた東京オリンピックの開会式に遡る。私もまだ若かったあの日の空は抜けるように青かった。あの印象深い秋天と、とうとう先進国の仲間入りを果たしたという自信が、この祭日の制定に至った背景にあったのではなかろうか。

 

 ところが、今年のその休日はあいにくの雨と予報されている。統計的には、今日10月9日あたりが、一年で一番雨の確率が高いのだそうだ。今朝のNHKでも、関東では梅雨時より今日あたりの方が雨になることが多いといっていた。

 

 それはともかく、コロナの第七波はだいぶ下火になってきた。その一方、ウイズコロナも徐々に浸透してきたようだ。私が仲間に入れてもらっているグラウンド・ゴルフについても、大会と名のつくものはコロナ前の水準に戻った。

 

 昨日10月8日には、学区内規模の地区大会が約50名を集めて小学校のグランドで開かれた。来る19日の水曜日には、市の高齢者スポーツ大会が市営の球技場で開かれる。そして11月16日には、湘南ブロック老人クラブ連合会の150名規模のグラウンド・ゴルフ大会が伊勢原市で開かれる。もちろん私の所属するクラブでも、来月11月2日にはクラブ内の大会を予定している。

 

 いよいよ秋も本番、秋雨など吹き飛ばし、青空の元でのびのびとスポーツを楽しみたいものだ。